知財弁護士となって(清水節)
私は、1979年に司法修習を終えて約40年間裁判官として勤務したが、1996年以降は知財事件に関わることが多く、2018年に知財高裁で定年退官を迎えた。その後は弁護士・弁理士になったが、仕事の8割以上は知財事件に関わることである。ただ、知財弁護士になって裁判官時代の弁護士等に対する印象と大分異なることを感じているので、その辺りを紹介してみたい。
まず一番驚いたのは、大都会の普通の弁護士等にとっていかに裁判官が遠い存在であるかである。司法修習生の時代は一緒に机を並べて時には同じ釜の飯を食べた関係であったはずなのに、担当裁判官に親しみを感じている代理人は少ない。勝訴の判決を下した裁判官を評価することが多く、敗訴の裁判官に対して厳しい見解を抱くことは当然としても、いずれも自分たちの訴訟活動に対する一方的な結論を下されたと感じているように思う。
裁判官時代は、事実関係に争いがあることが少ない知財事件では、双方代理人と裁判官が解決のための争点を詰めていき、和解が困難な場合にギリギリの結論を裁判所が示すものと考えて訴訟運営をしてきたつもりなのだが、弁護士等にとっての現実とは異なるようである。
また、弁護士等はクライアントのために仕事をしており、そのことを自覚している。それでは、弁護士等は、裁判官は何のために仕事をしているか考えたことがあるだろうか。実は私も、現役時代はそのことを考えたことはなかった。今になって振り返ると、訴訟が始まるとできるだけ早く正しい結論にたどり着きたいと願っていたように思う。もちろん裁判官によって自己の仕事へのモチベーションは異なるであろうが、知財事件を扱う裁判官の多くにとって、どちらの言い分が正しいか分からない状態をできるだけ早く解消したいという思いが共通の認識といえるであろう。
弁護士等は、この裁判官の早く正しい結論にたどり着きたいという認識を前提として仕事を進めるべきではなかろうか。すなわち、裁判官が納得できるようなストーリー(主張)とそれを裏付ける証拠とをできるだけ早期に裁判所に提示することが重要である。これによって裁判官に自己に有利な心証を形成して貰えるし、いったん形成された心証は簡単には覆されない。相手方の反論を防止するために、自らの有利な主張を直ぐに提示しないで後半戦に取っておくという考え方には、なかなか同調できない。
最後に、現役の裁判官の審理に関する感想も述べてみたい。
通常の民事事件では、裁判官が事件当初から勝ち負けを口にすることがあるし、全部の審理が終了する以前に心証を述べることも多い。見学した欧米の法廷でも、審理の途中で裁判官がどちらを有利に思っているかを明らかにすることがあった。これに対し我が国の知財訴訟では、裁判官が途中でその勝敗に関する心証を明らかにする事例は非常に少ない。これは、途中で心証を明らかにすると、その段階で不利な当事者に新しい主張立証の示唆を与え、有利であった当事者には不利益を及ぼすとともに、審理期間が延びるからである。この理由には一定の合理性があると考えているが、裁判所がある程度の心証を開示してその後の審理を進めていく事例がもう少し増えてもいいと感じている。そういう事例を通じて裁判所と当事者の意見交換が進み、知財訴訟全体がより活発するのではないかと思うからである。