知的財産権をめぐる独占禁止法の役割の変化――知的財産権の吸い上げを題材に(中里浩)
1 はじめに
実は今、公取委は知的財産権の吸い上げを巡る問題に力を入れていること、御存じでしょうか。
少し前に、JR等の電車内や、YouTubeにて、桃太郎・イヌ・きじ・サルの登場する取引適正化法(取適法)の動画を御覧になった方もいるでしょう[i]。また取適法の改正のきっかけとなった「企業取引研究会報告書」の最終部分の中に、弱い者がさらに弱い者をたたくという趣旨のTHE BLUE HEARTSの「TRAIN-TRAIN」の歌詞の一節が紹介されていたことも当時話題になりました[ii]。
このように最近の公取委や政府の広報活動は、できる限りわかりやすい内容にしよう、との意識が強く働いているのですが、これは、近年、公正取引委員会が価格転嫁問題への対応を進めていることの表れです。しかし、その議論は単なるコストの取引価格への反映や交渉義務の問題にとどまりません。中小企業やフリーランスが保有する知的財産権やノウハウを、大企業が対価なく取得する「知的財産権の吸い上げ」にも議論が広がり、そして独占禁止法が知財を守る役割を明確にしつつあるのです。
そこで本コラムでは、①取適法改正の背景にある価格転嫁問題、②これまで独占禁止法が想定してきた「権利者による知的財産権の濫用」という構図、③「発注者による知財の吸い上げ」の規制を通じた知的財産権を守るという独占禁止法の新たな役割、④フリーランス法への拡大、⑤今後の課題を順に論じていきます。
2 取引適正化法の改正と転嫁問題
今回の法改正に至るプロセスには価格転嫁についての問題意識が強く表れています[iii]。
原材料費や労務費を考慮しない、価格引き下げを前提とした商慣行が続けば、そのしわ寄せは受注側の中小企業に向かいます。中小企業では従業員の賃金が上がらず、むしろ下がることもあります。その結果、企業は人材を集めることができず、研究開発費を削減し、品質競争の基盤、さらには業界全体の競争力を失うという負のスパイラルに陥ります。一方、転嫁対策はこれを好転させるための取り組みです。適切な価格転嫁で財務基盤を強化し、賃上げや研究開発費につなげていく。そうすることで企業や業界の持続可能性が高まっていきます。これが転嫁対策の理想的な姿です。
企業取引研究会最終報告書では、転嫁問題を、下請法改正によって実現しようとするものでした。主として、非物流業者である発注者(荷主)による物流委託の対象取引への取り込み、労務費やエネルギーコストの上昇を踏まえた取引価格の反映と、これを無視した交渉義務違反、さらに発注者側の形式的要件として、これまでの資本金区分に加えて従業員区分を追加することが提言されました。そして下請法から取適法への法改正内容もおおむねそのようなものとして反映されたのです[iv]。
このように、改正内容そのものには知的財産権との関連性は見当たらないのですが、この企業取引研究会での議論を発端に、知的財産権と、取引適正化との関係が意識されるようになってきた経緯をご紹介します。
3 これまでは権利者=違反行為者との前提
これまで知的財産権と独占禁止法の関係は、権利の許諾をする側(ライセンサー)を違反行為の主体ととらえつつ、権利の許諾をうける者(ライセンシー)の取引の自由意思をゆがめるものか、または取引条件の設定によっては取引相手以外のライセンサーの競争者を排除する場合、競争法の視点からどのように考えるのかを念頭に置いてきました。つまり、知的財産権者の権利の行使と認められる行為に独占禁止法を適用しないとした独占禁止法21条を介在させ、権利者の違反行為に着目して検討するアプローチが主流を占めていました。
ここでの独占禁止法と知的財産権の関係は、決して排他的なものでなく、技術利用がもたらす競争の促進という視点から相互補完的なものとしてとらえられています。そして、通常の権利行使については、独占禁止法は適用されないものの、権利行使の形態が事業者に創意工夫を発揮させ、技術の活用を図るという、知的財産制度の趣旨を逸脱し、目的に反すると認められる場合、独占禁止法が適用できるという考え方につながっています[v]。同時に、それはあくまで「適用できる」ということを意味するにとどまり、直ちに独占禁止法違反となることを意味せず、別途、不公正な取引方法(2条9項各号)や私的独占(2条5項)など、違反行為の要件成立については別に検討することになる、というものでした。
このようにいわば権利者側からの権利行使の逸脱が問題となったものとして、ソニーコンピュータエンターテインメント事件が挙げられます。ここでは、ゲームソフトメーカーによる、卸売業者間の横流しの禁止と再販売価格維持行為に加え、中古ソフトの取り扱い禁止が行われており、ここで頒布権の消尽と独占禁止法の関係、すなわち拘束条件付取引(現行一般指定12項)や再販売価格維持行為(独占禁止法2条9項4号)の成否が争点となりました[vi]。
あるいは、ブルーレイディスク製品の標準必須特許権利者から、この特許のパテントプールの管理・運営を受けたOne Blue社が、他のブルーレイディスクメーカーとのライセンス交渉中に取引先に対してこのメーカー製品の特許権侵害を告知したことが、東京地裁によって不正競争防止法違反にあたると判断されたことに加えて[vii]、公取委により、独占禁止法上の取引妨害(一般指定14項)に認定された事例もあります[viii]。
4 発注者による、権利者からの知的財産の吸い上げを問題視
これを大きく変えたのが、法改正に向けた議論の終盤、2024年10月24日第4回企業取引研究会での日本商工会議所(日商)の説明でした。ここで日商は、中小企業の持つ知財・ノウハウへの侵害の実態説明とともに、「知財いじめがない世界を作る」、「(中小企業に対する)侵害し得の状況を是正する」、「中小企業が自らの知財被害について声を上げやすくする」などの基本的考え方の下、公取委に対する指針の策定といった早急な対応を迫りました[ix]。
具体的には、承諾のない知的財産やノウハウの利用、契約に含まれない技術の開示、金型設計図面等の提供、知的財産権の無償譲渡といった行為が列挙されています。つまり大企業が知的財産権を持ち、その中で、権利の許諾を受ける側をいじめるというそれまで独占禁止法が想定していた構図から、大企業が中小企業の持つ知的財産権を吸い上げる行為を問題視するようになっていったのです。
企業取引研究会報告書の中にも、知的財産権やノウハウを無償又は低廉な価格で吸い上げられることを防がなければ、事業者間の格差が固定化し、イノベーションが起きにくくなると考えられるため、具体的な知的財産・ノウハウの取引適正化に関する行動規範を示す必要があること、「ルールを作って終わり」にしてはならず、ガイドラインで示した内容が遵守されるような実効性のある取組も併せて講じていくべきである旨の提言が盛り込まれました[x]。金型無償保管の慣行をはじめ転嫁問題は隠れたコストを中小企業側に負わせる行為を問題視しているのですが、中小企業の持つ権利の吸い上げがこの問題の延長線に含まれるようになったことに、非常に大きな意義がありました。
5 知的侵害への対応―フリーランス法への拡大
これに対する政府の反応は想定を超えて素早いものでした。公取委と中企庁は、令和7年7月、下請法改正後に再開された企業取引研究会の下に知的財産取引適正化ワーキンググループを設置し、知的財産権やノウハウの取引適正化に関する集中的な議論が行われました。また、これと並行して、公取委による知財・ノウハウに関する実態調査も行われています。
WGの提言の中で注目されるのが知財侵害とフリーランス法との接続です。先述の企業取引研究会での議論は中小企業に焦点を当てており、どちらかというと、モノづくりー製造業を念頭に置いたものでした。これまで独占禁止法の優越的地位の濫用規定を補完するものとして、取適法、フリーランス法が挙げられてきましたが、この問題について、独占禁止法・取適法だけでなく、フリーランス法も含めた横断的な規範定立を求めたことが注目されます[xi]。これによって、この問題は映画・アニメ・デザインやイラスト・ソフトウェア作成といった創作活動に関わるフリーランスに大きく広がりを見せることになったのです。
もちろん、フリーランス法に先行し2021年に策定されたフリーランスガイドラインにも、成果物の二次利用に関する対価の一方的決定や、権利の一方的譲渡について優越的地位の濫用として問題となり得ることは明記されていました[xii]。また2023年のフリーランス法施行前にも、フリーランスへの発注に当たって知的財産権が発生し、フリーランスからの譲渡・許諾を伴う場合には作成業務とは別の報酬を設定すべきこと、といった考え方が示されていました[xiii]。しかしそれらは全体とすれば知財・ノウハウの侵害とごくわずかの行為類型をカバーするにとどまり、不十分なものでした。
ではなぜこの権利の吸い上げに対する対応をフリーランスに拡大することが重要となるのでしょうか。イラストや映像・音楽の作成依頼はあくまでもそのサービス自体を完了させる業務委託契約にとどまり、独自の経済的価値を持つ著作権の譲渡を必然的に意味するものではありません。しかし、発注者側は、これらを混然一体として取り扱い、引き渡されたイラストなどの二次利用を念頭に置きながら、無償の著作権譲渡に関する条項に加え、氏名表示権や同一性保持権等を内容とする著作者人格権の不行使特約を組み込んでいったのです。例えばある企業が自社HP掲載用に、イラストレーターに対し10万円でイラスト作成を依頼するにあたり、その著作権を無償で譲渡させ、イラストレーターの著作者人格権を行使しないことを強制させれば、その後、企業はこのイラストの二次利用を自由に行うことができるようになります。
もしこのイラストレーターが個人事業者であれば、資本力がなく、情報や交渉力にも大きな格差があるため、今回・あるいは将来的な取引失注をおそれて、発注者からの不利益要請を受け入れざるを得ない立場に置かれます[xiv]。公取委の実態調査報告書の中でも、コンテンツ分野での著作権・著作者人格権の取り扱いをめぐる具体的問題事例が多数列挙されており[xv]、こうした慣行が業界の中に広がっていたことがうかがわれます。
フリーランスをはじめとする人材分野については、長らく独占禁止法の適用外とする考え方が支配的でしたが、独占禁止法やその補完法たるフリーランス法の枠内に組み込まれるようになり、さらに価格転嫁問題の考え方を応用することで、弱い立場にあるフリーランスの保有する知的財産権を巡る取引の見直しにつながっていったのです。
今回、公表された指針の中では、権利を報酬として評価することを前提に、権利の無償譲渡が問題となるおそれがあるとの考え方を採用し[xvi]、同様に著作者人格権の不行使特約についても一方的に条件の設定がなされた場合に優越的地位の濫用として問題となるおそれがあるとの考え方が明確となりました[xvii]。
6 今後の課題-積極的な運用と著作者人格権の取り扱い
このように、独占禁止法や取適法が、知的財産権者を規制する法律から、知的財産権を守る法律としての役割も担い始めたことがお分かりいただけたと思います。そして公取委は、積極的にコンテンツ分野に対しフリーランス法や取適法を適用していますが[xviii]、しかし、まだ明確に特許権や著作権の吸い上げについて対応したものは見当たりません。指針の周知徹底には時間を要するかもしれませんが、単なる考え方の整理(ポーズ)にとどまらず、積極的に違反行為を認定・公表していく姿勢が求められます。
また、残る課題として、著作者人格権の不行使特約を優越的地位の濫用の問題とするにとどまり、取適法や、フリーランス法の対象となっていないことが挙げられます。私見によれば、情報成果物の発注者にとって、同特約が二次的著作物の権利の流通を促進するもので、著作権の譲渡と一体不可分のものととらえている以上、間接的な経済上の利益の移転に当たると考えています[xix]。これに対し公取委の見解は必ずしも明らかではありませんが、人格権の行使そのものは経済的価値とは切り離されている、ととらえていることが想定されます。
フリーランス法では発注者とフリーランスとの間に、業務提供まで1か月以上の期間を要する契約に加え、法律に列挙された行為が外形的に存在すれば、違反行為を認定することが可能になります。これに対し優越的地位の濫用に該当するためには、優越的地位に該当するための総合考慮を支える事実関係が必要となり[xx]、格段に立証要件のハードルが上がり、この結果、フリーランスにとっての不利益となることが想定できます。
フリーランス法の見直しは、施行状況も踏まえた上で、2024年11月施行から3年後と定められています(附則2項)。著作者人格権不行使特約の取り扱いについてはあくまで法解釈事項ですが併せて、検討がなされることを強く望みます。
[i] 桃太郎動画の一例については、YouTube公取委チャンネル「改正!トリテキ法~①協議に応じない一方的な価格決定の禁止~」[https://www.youtube.com/watch?v=jeHQ747kgJ0](最終閲覧日2026年7月20日)。
[ii] 企業取引研究会令和6年12月「企業取引研究会報告書」30頁[https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2024/dec/241225_kigyotorihiki_1.pdf]。
[iii] 強いものが弱いものをたたくという転嫁問題のイメージについては拙稿「転嫁対策と下請取引に関する公取委の変化、企業のとるべき姿勢」電機連合NAVI 88号(2024年)20頁[https://www.jeiu.or.jp/dl/ebook/navi88/?pNo=22](最終閲覧日2026年7月20日)もご参照ください。
[iv] 改正内容の方向性とその問題点については中里浩「下請法改正に向けた検討課題」早稲田法学100巻3号(2025年)381頁を参照。
[v] いわゆる通説・実務が採用しているとされる趣旨逸脱説。例えば公取委2007年9月28日「知的財産の利用に関する独占禁止法上の指針」第2の1。
[vi] 公取委審判審決平成13年8月1日審決集48巻3頁。ただし、最高裁での判断が行われていなかった時点での判断だったため、「PSソフト(筆者注:プレイステーション向けソフト)が頒布権が認められる映画の著作物に該当し、中古品取扱い禁止行為が外形上頒布権の行使とみられる行為に当たるとしても、知的財産保護制度の趣旨を逸脱し、あるいは同制度の目的に反するものであることはいうまでもない」という表現にとどまりました。独占禁止法を離れた最高裁の判断については最判平成14年4月25日・民集56巻4号808頁。
[vii] 東京地判平成27年2月18日判例タイムズ1412号265頁。
[viii] 公取委平成28年11月18日公表「ワン・ブルー・エルエルシーに対する独占禁止法違反事件の処理について」[https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/h28/nov/16111802.html](最終閲覧日2026年7月20日)。
[ix] 日本商工会議所2024年10月24日「取引における知財の取扱いに係る問題点」企業取引研究会第4回資料[https://www.jftc.go.jp/file/02_nisshosiryo_4.pdf] (最終閲覧日2026年7月20日)。
[x] 企業取引研究会報告書26頁から27頁。
[xi] 令和8年3月「知的財産取引適正化ワーキンググループ報告書」第2の2(1)ア③4頁。
[xii] 内閣官房・公取委等令和3年3月26日「フリーランスとして安心して働ける環境を整備するためのガイドライン」第4の3(6)。
[xiii] 公取委・厚生労働省令和6年5月31日「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の考え方」第2部第1の1(3)キ(イ)等。
[xiv] 実務上、発注者による、著作者人格権の不行使特約の組み込みが定着している状況につき拙稿「著作者人格権不行使特約の適法性―経済法の視点から」国際著作権法研究(日本国際著作権法学会誌)3巻(2025年)69頁中、74頁から75頁。また、情報・交渉力の格差を前提とする経済法上の考え方につき同89頁から90頁。
[xv] 公取委令和8年3月31日「知的財産権・ノウハウ・データを対象とした優越的地位の濫用行為等に関する実態調査報告書」中、著作権の無償譲渡の具体的事例につき45頁から46頁(事例22から25まで)、著作者人格権の不行使特約につき47頁(事例31及び32)。
[xvi] 公取委等令和8年6月24日「知的財産権・ノウハウ・データの適切な取引のための優越的地位の濫用等に関する指針」のうち、優越的地位の濫用の該当性につき第2の2(3)イ(ア)①39頁及び取適法、フリーランス法の該当性につき同40頁。
[xvii] 優越的地位の濫用の該当性につき同上(エ)①43頁。
[xviii] コンテンツ分野におけるフリーランス法の勧告事例として、以下のとおり(いずれも条件明示義務違反、支払遅延)。令和7年6月15日株式会社小学館に対する勧告事件[https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2025/jun/250617_fl_syogakukan.pdf]、同日株式会社光文社に対する勧告事件 [https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2025/jun/250617_fl_kobunsya%20.pdf]、令和8年2月25日株式会社共同通信社に対する勧告事件 [https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2026/feb/260225_flkankoku.pdf]、株式会社令和6年6月11日KADOKAWAに対する勧告事件 [https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2026/jun/260611_kadokawa.pdf]及び令和株式会社ヘリテージに対する勧告事件 [https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2026/jun/260611_heritage.pdf]が挙げられる。
[xix] 著作者人格権の不行使特約そのものが、安心して権利を流通に付すことができるという点で一定の反射的な財産的価値を維持している点について、拙稿・前掲注(xiv)103頁。
[xx] 乙の甲に対する取引依存度、甲の市場における地位、乙にとっての取引先変更の可能性、その他甲と取引することの必要性を示す具体的事実を総合的に考慮することになります。ラルズに対する審決取消訴訟判決・東京高判令和3年3月3日第8の2・判例時報2551号(2023年)14頁中、48頁から49頁及び公取委平成22年11月30日「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」第2の2。