バーゼルからトリノ、そしてハンブルクへ――欧州滞在最初の3か月(Rademacher)

東京からスイスのバーゼルに移って、約3か月が経ちました。今後1年余り、バーゼル大学の客員研究員として滞在する予定です。今回の滞在は、科学研究費助成事業(科研費)の国際共同研究加速基金による研究プロジェクト(課題番号:23KK0227)の重要な一環であり、生成AIの開発・利用と知的財産法のあり方を研究するものです。欧州に長期間滞在することで、この研究を進めるとともに、欧州の知的財産研究者とのつながりを一層深めたいと考えていました。最初の3か月は、まさに期待どおりの充実した日々となっています。新たな研究環境に慣れる一方、イタリアとドイツで開催された3つの大規模な知財関連会議に参加し、多くの同僚と再会・交流し、今後の共同研究や学術イベントの計画を進めることができました。

バーゼル――ライフサイエンス、特許法、そして研究生活

写真1:バーゼル大学ライフサイエンス法研究センターの研究チーム(一部)

 現在の研究拠点は、1460年創立のスイス最古の大学、バーゼル大学です。その中でも、法学部およびライフサイエンス法研究センター(Zentrum für Life Sciences-Recht、ZLSR)を中心に活動しています。知的財産法の研究者にとって、バーゼルはとても興味深い都市です。人口約18万人の比較的小さな街でありながら、医薬品・バイオテクノロジー研究では世界有数の拠点となっています。ロシュとノバルティスの両社が本社を置き、その周囲には製薬企業、バイオテクノロジー分野のスタートアップ、研究機関、関連サービス企業などが集積し、密度の高いライフサイエンスのエコシステムを形成しています。

写真2:バーゼルの街並みにそびえるロシュ・タワー。スイスで最も高い建物と2番目に高い建物です。

 知的財産法の観点から特に興味深いのは、バーゼルの産業発展の歴史です。現在の製薬産業の源流は、19世紀の化学工業、とりわけ合成染料産業にさかのぼります。意外なことに、その初期の発展を後押ししたのは、強固な特許保護というより、むしろ特許保護が十分に存在しなかったことでした。スイスで全国的な特許制度が導入されたのは1888年と遅く、導入後も、化学産業に関する保護は非常に限定的でした。化学的方法に特許保護が認められたのは1907年、化学物質自体に対する物質特許が導入されたのは1970年代になってからです。この制度環境の下、スイスの化学企業は、当初はドイツをはじめとする外国で開発された発明を利用しながら、次第に独自の研究開発能力を蓄積し、国際的な競争力を備えたイノベーターへと成長していきました。

こうした歴史は、知的財産の保護と産業発展の関係がいかに複雑であるかを示す好例です。今日のスイスの製薬産業では、新薬開発に巨額の投資が行われ、特許が極めて重要な役割を果たしています。しかし、その発展の経緯を振り返ると、特許保護とイノベーションの関係は決して単純でも、時代を超えて不変でもないことが分かります。

バーゼル大学では、アルフレート・フリュー教授(Alfred Früh)とその研究チームに受け入れていただいています。フリュー教授の研究分野は、知的財産法、競争法、イノベーション、新技術の規制など多岐にわたり、私にとって非常に恵まれた研究環境です。ライフサイエンス法研究センターでは、知的財産保護と規制制度、企業活動、さらには公共の利益との関係を考えるうえで、多くの刺激を得ています。

こちらの研究生活で特に有意義だと感じているのが、毎週月曜日の午前10時に開かれる研究チームの定例ミーティング(Jour fixe)です。博士課程の学生とポスドク研究者が集まり、前週の進捗を報告し、翌週の目標を設定するとともに、各自の研究課題で協力できる余地がないかを話し合います。対面で行うこともあれば、オンラインで開催することもあります。毎週全員の時間を確保する必要はありますが、研究活動の調整や共同作業の促進に非常に役立っていると感じます。私自身にとっても、バーゼル大学の研究者コミュニティに溶け込むうえで貴重な機会となっています。

写真3:バーゼル大学薬学史博物館で歴史的な医学文献を見学するフリュー教授ら

 先日は研究チームで、バーゼル大学薬学史博物館(Pharmazie-Historisches Museum)を訪れました。薬学・医学の歴史を物語る貴重な資料が数多く収蔵されています。博物館が入る歴史的建造物「ハウス・ツム・フォルデレン・ゼッセル」(Haus zum Vorderen Sessel)は、著名な医師・錬金術師パラケルススが1526~1527年に滞在し、印刷業者ヨハネス・フローベンの主治医として活動した場所でもあります。その後、パラケルススはバーゼル市の医師となり、1527~1528年には大学で医学を教えました。同僚とともに歴史的な医学・薬学資料を見学し、この街が長い年月にわたり医学・科学の中心地であったことを改めて実感しました。

3つの知財会議、3つの異なるコミュニティ

欧州滞在のもう一つの大きな目的は、日本に拠点を置いているとなかなか頻繁には参加できない会議に足を運び、研究仲間との交流を深めることです。9月から10月にかけては、まさにその絶好の機会に恵まれました。約1か月の間に、トリノのEPIP年次大会、ハンブルクのGRUR年次大会、そして同じくハンブルクのAIPPI世界大会に参加したのです。バーゼルに滞在する利点の一つは、これら3つの会議すべてに鉄道だけで行けたことでした。いずれも知的財産を扱う会議ですが、参加者の構成、学問的なアプローチ、開催目的はかなり異なります。短期間に続けて参加したことで、国際的な知財コミュニティの多様な姿を実感することができました。

最初に参加したのは、9月9日から11日までトリノ工科大学で開催されたEuropean Policy for Intellectual Property Association(EPIP)の年次大会です。EPIPは、知的財産、イノベーション政策、法学、経済学の交差領域を扱う専門的な国際学術会議としては、おそらく世界最大規模のものです。経済学者、法学者、経営学研究者など、知的財産制度がイノベーションや経済活動にどのような影響を及ぼすかに関心を持つ研究者が集まります。特許その他の知的財産保護の効果を定量的なデータで検証する実証研究が多いことも、この会議の特徴です。私がEPIPに魅力を感じるのは、その学際性にあります。同じ問題でも、法学者は法規範の解釈や体系的な整合性を重視する一方、経済学者は研究開発投資、競争、市場行動などに対する測定可能な影響に目を向ける傾向があります。両者の視点を結びつけるのは容易ではありませんが、それだけに得るものも大きいと感じます。今年のテーマは、グローバル経済の新たな状況における知的財産とイノベーション政策であり、分野を超えた議論の機会が数多くありました。

次に向かったのはハンブルクです。9月30日から10月3日まで、ドイツの知的財産法関連団体GRUR(Deutsche Vereinigung für gewerblichen Rechtsschutz und Urheberrecht)の年次大会に参加しました。とりわけ印象的だったのは、実務家と研究者が一堂に会することによって生まれる、活気がありながら親しみやすい雰囲気です。例年およそ500人の知財実務家と、約100人の研究者が参加します。研究者の中には、大学教授だけでなく、ポスドクや博士課程後期の学生も含まれ、その多くはドイツ国内からの参加者です。若手からベテランまでさまざまな研究者が、日々知財紛争や取引に携わる弁護士・弁理士と直接交流できる、とても活発な場になっています。研究者と実務家が単に別々のプログラムに参加しているのではなく、同じ議論を共有しているのです。

日本にも知的財産分野の学会や実務家団体は数多くありますが、これほど両者が自然に交わる大規模な年次大会は、残念ながらあまり見当たらないように思います。日本の学会は比較的形式的な運営になりやすく、GRURで感じたような気軽な意見交換の機会は限られがちです。印象に残ったのは、議論の内容の充実ぶりだけでなく、研究と実務の双方を担う人々が一つの活気ある知的コミュニティを形成していることでした。所属機関や世代、研究と実務の垣根を越えた交流を、大きな学術・実務団体がいかに促進できるかを示す好例だと思います。とりわけ若手研究者にとって、著名な実務家や第一線の研究者と直接話せることには大きな意味があるでしょう。

写真4:AIPPI世界大会の医薬品関連セッションでパネル討論に参加

 そのわずか数日後、10月7日から10日にかけて、同じハンブルクでAIPPI(国際知的財産保護協会)の世界大会が開催されました。世界各国から数千人の知財専門家が集まり、知財をめぐる実質的な法的議論に重点を置いた国際会議としては、おそらく世界最大規模です。参加者の中心は弁理士、知財分野の弁護士などの実務家ですが、近年は研究者の参加を広げる試みも進められています。AIPPIの特徴は、充実した法的な検討活動にあります。単なるネットワーキングの場にとどまらず、重要な知財法上の論点について各国法を比較研究し、国際的な法制度の発展や調和に資する決議を採択しています。世界大会は、専門家の交流の場であると同時に、比較法に関する本格的な議論の場でもあるのです。

その規模を最も印象的に物語っていたのは、文化行事かもしれません。主催者は、ドイツ屈指の人気を誇るコンサートホール、ハンブルクのエルプフィルハーモニーを貸し切り、ベートーヴェンの交響曲第9番を上演したのです。2017年にハンブルクで開催されたG20首脳会議で、メルケル首相が各国首脳を招いて鑑賞したのも、まさに同じ会場での同じ曲でした。知財法の国際会議も、なかなかやるものです!

RCLIPとAIPPIの国際活動には、すでに接点があります。2025年9月に横浜で世界大会が開催された際、RCLIPはAIPPIと協力し、早稲田大学で「AI学習と著作権法」をテーマとするセミナーを開催しました。日本の研究者、実務家、企業関係者に加え、海外からのAIPPI参加者も集まり、日本法が国際的にも注目されているテーマについて議論しました。今後もこのような連携を発展させていければと思います。

写真5:AIPPI世界大会のクロージング・ディナーにて

 EPIP、GRUR、AIPPIに短期間で続けて参加したことで、それぞれの団体が異なる、しかし互いに補完し合う役割を果たしていることがよく分かりました。EPIPは知的財産とイノベーションをめぐる学際的な学術研究の場、GRURは研究と実務を結びつけ、若手研究者も積極的に取り込む場、そしてAIPPIは比較法研究と実体的な知財法ルールの国際的発展に重点を置くグローバルな実務家ネットワークです。目的はそれぞれ異なりますが、国境を越えて活動する研究者にとって、いずれも大きな意義があります。

今後の予定――ミュンヘン、バーゼル、そしてその先へ

次に控えている大きな行事は、11月6日にミュンヘンで開催する「知的財産法における二次的責任」をテーマとしたワークショップです。早稲田大学RCLIP、ミュンヘン大学(LMU)、コロンビア大学ロースクールが共同で主催します。ミュンヘン大学のマティアス・ライストナー教授、コロンビア大学の同僚らとともに、他者の知財権侵害を援助・促進するなど、侵害に関与した者の責任を各国法がどのように扱っているのかを検討するため、各国の研究者を招きます。

二次的責任は、デジタルプラットフォームやオンライン仲介者、新技術との関係で、ますます重要な問題となっています。自ら直接侵害行為を行っていない者の責任をいかに認定するか、また、その者に対してどのような救済を認めるかについては、法域によって大きな違いがあります。今回のワークショップでは、そうした相違を比較法的に検討し、来年には研究成果を論文集として刊行できればと考えています。RCLIPの共同所長全員がミュンヘンに集まる予定であり、学術的に密度の濃い議論だけでなく、早稲田と欧米の協力機関との連携を深める機会にもなることを楽しみにしています。

ミュンヘンのワークショップ後には、バーゼルの同僚とともに、RCLIPの共同所長である鈴木教授と香港中文大学の李治安(Jyh-An Lee)教授をバーゼルにお迎えする予定です。李教授は早稲田大学でも客員講師を務めています。お二人には、営業秘密の保護と人工知能をテーマとするセミナーでご講演いただきます。欧州とアジアの双方で関心が高まっている分野です。今回の滞在が、早稲田やアジアの大学の研究者とスイスの研究者を結ぶ新たな機会につながっていることを、うれしく思います。

欧州での滞在は、あと約9か月続きます。その間にも、さまざまなセミナー、国際会議、研究活動に参加する予定です。バーゼルに拠点を置く利点の一つは、欧州各地の大学や研究機関を比較的容易に訪問できることです。東京からであれば長距離移動が必要となる学術交流にも、ずっと気軽に参加できます。残りの滞在期間もこの機会を最大限に生かし、帰国後はここで得た経験や人脈をRCLIPと早稲田大学での活動につなげていきたいと思います。

クリストフ・ラーデマッハ(早稲田大学法学学術院教授)

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