特許判例百選[第6版](加藤幹)
1 はじめに
関係者必買の書籍である特許判例百選[第6版]が出版された。そこで、今回は本書籍をテーマとしたい。
なお、本コラムは本書籍のPRを目的とするものではないことを予めお断りしておく。そもそも、本コラムを目にする方々に対して本書籍のPRをするなど、釈迦に説法、河童に水練も甚だしく、まったく意味がないのである。
2 特許判例百選のこれまで
特許判例百選は、1966年に初版が出版され改訂を重ね現在に至る。出版年、掲載判例数及び価格は以下のとおりである。なお、価格の直後の括弧内の数値は第5版の価格を100とする相対値である。
初 版 1966年 101判例 605円( 24)
第2版 1985年 116判例 1900円( 76)
第3版 2004年 109判例 2600円(104)
第4版 2012年 104判例 2400円( 96)
第5版 2019年 104判例 2500円(100)
第6版 2025年 112判例 2700円(108)
価格は第3版までは大きく上昇しているがその後は概ね横ばいである。消費者物価指数は、2020年を100とした場合1966年が約25、2004年が約94であるようなので[1]、価格上昇は消費者物価指数の上昇に概ね一致する。そうすると、本書籍の実質価格は初版と比較してあまり変わっていないといえよう。
もっとも、初版は、おそらく研究室・図書室での関連資料の探索・現物の確認、原稿用紙への執筆、原稿の出版社への郵送、写植による組版、紙媒体の郵送ベースでの校正、という段取りで原稿執筆・編集作業が進行しただろう。そしてその後のデータベース、コピー機、ワープロソフト、インターネット・電子メール、Desktop Publishingの出現・普及により[2]、関連資料の探索・収集、文章の推敲、原稿の出版社への送付、組版、校正という本書籍の原稿執筆・編集作業の効率が初版のそれと比較して飛躍的に向上したことは疑いがない。また、印刷・製本作業の効率もおそらく同様であろう。技術進歩が生産性を向上させるという、特許制度の背景にある経済学の理論が顕現した好例である。
しかし、そうであるにもかかわらず本書籍の実質価格が初版のそれと比較してあまり変わっていないということは、効率化により生じた余剰が実質価格に反映されていないということになろうか。それとも、一連の出版業務の効率化の程度が社会全体の効率化の程度と同じくらいであるということだろうか。
この点、本書籍が「現実に通用している特許法の規範を簡便に修得することを可能にするものとして、その重要性は増すばかり」[3]として今般改訂されたものであることから、効率化により生じた余剰は内容の充実に充てられたと思われる。実際、掲載判例数は初版と比較して1割増である。本書籍の特性上必ずしも掲載判例数が多ければよいというものではないが、その増加は内容が充実したことを端的に示すものである。見方を変えると、効率化された分業務が増えて費やす労力は変わらないという巷でよく聞く世知辛い話になってしまうが、効率化の恩恵が内容の充実という形で現れるのはユーザーとしては大歓迎である。
3 新たに追加された最高裁判決、除外された最高裁判決
4増9減。国会議員の定数の話ではない。第5版と比較した、本書籍に掲載されている最高裁判決である。ただし、4増のうち3件[4]は第5版出版後になされた近時のものであるから、実質的には1増9減である。この10件の最高裁判決について、復習も兼ねてなぜ追加・除外されたかという観点から眺めてみたい。
(1)追加された最高裁判決
ア 最判昭55・1・24〔食品包装容器事件〕
審決取消訴訟の審理範囲を消極面から画した大法廷判決[5]の下で、審決取消訴訟において審判で提出されなかった資料に基づいて当業者の技術常識を認定することは許される旨判示し、審決取消訴訟の審理範囲を積極面から画した判決である。本判決はこれまでこの大法廷判決の解説中で言及されるにとどまっていた。
しかし、上記大法廷判決により審決取消訴訟の審理範囲が一般の行政処分に対する取消訴訟と異なるものであるとされる以上、その範囲を積極面からも明らかにすることは重要である。さらに、取消判決の拘束力が審決取消訴訟の審理範囲を超えて及ぶことはないから、取消判決の拘束力を明らかにするためには審決取消訴訟の審理範囲が明らかであることが必要である。本判決は、上記大法廷判決及び取消判決の拘束力についての最高裁判決[6]と一体となって、特許争訟における行政審判の実質的経由の要請と紛争の一回的解決の要請との調和のあり方を示すものであり、これら2件の最高裁判決とともに本判決が採択されたことはむしろ自然なことであるように思われる。
(2)除外された最高裁判決
ア 最判昭43・4・18〔中島造機事件〕
判定は特許庁の単なる意見の表明である旨を判示した判決である。立法の経緯や通説どおりの判示であり、また判定制度の利用が活発とは言えず判定に新たな論点が生じているとも言えないため、採択されなかったと推測される。
イ 最判昭43・12・13〔石灰窒素事件〕
その事件の事実関係の下において、従業者等の発明行為がその従業者等の職務に属するとした判決である。職務が「現在又は過去の」職務であることが明文化されていなかった旧法における職務発明規定についてのものであり、さらに事例判決でもあるため、採択されなかったと推測される。
ウ 最判昭44・1・28〔エネルギー発生装置事件〕
当業者が反復実施して目的とする技術効果をあげることができる程度にまで具体化されていないものは旧法1条における「工業的発明」に該当しない旨を判示した判決である。本判決を引用した上で、そのようなものは「発明」に該当しないから現行法29条1項の規定により拒絶されるべきである旨を判示した最高裁判決[7]が第5版に引き続き第6版でも採択されるため、旧法についての判決である本判決は採択されなかったと推測される。
また、本事件は、核分裂が持続的に生じるように制御するという原子力の平和利用についての基本発明に係るものであるところ、本判決では、目的とする技術効果と表裏一体の危険(目的とする技術効果をあげれば解決する、核分裂が爆発的に生じることによる危険)と、目的とする技術効果とは無関係な危険(目的とする技術効果をあげても解決しない、核分裂の際にガンマ線等の各種放射線が生じることによる危険)とが峻別されていないきらいがあり、そのため危険の防止は発明の完成に必要かという議論が錯綜してしまっていた感がある[8]。現在では目的とする技術効果とは無関係な危険の防止は発明の完成に不要であるという立場が多数派であるように思われ、本判決のこのような事情も本判決が除外された一因であるかもしれない。
エ 最判昭47・12・14〔フェノチアジン誘導体製法事件〕
訂正要件の1つである「実質上特許請求の範囲を拡張し、又は変更するもの」でないか(特許法126条6項)は明細書の記載ではなく特許請求の範囲の記載を基準とする旨を判示した判決である。その背景には、特許発明の技術的範囲は明細書の記載を基準とするという旧法で採用されていた中心限定主義と、特許発明の技術的範囲は特許請求の範囲の記載を基準とするという現行法で採用されている周辺限定主義との対立があったのではないかと思われる。中心限定主義の名残があったであろう本判決当時はともかく、本判決以後半世紀、常に特許請求の範囲の記載を基準としてこの訂正要件が判断されているため、採択されなかったと推測される。
オ 最判昭48・4・20〔墜道管押抜工法事件〕
通常実施権者は、当然には特許権者に対し通常実施権の設定登録手続をすることはできない旨を判示した判決である。平成23年改正により通常実施権の登録制度そのものが廃止されたため、採択されなかったと推測される。
また、令和3年改正により訂正の際の通常実施権者の承諾が不要とされたが、その背景には通常実施権の法的性質は権利者に対する実施認容請求権にとどまるという本判決が示した考え方がある。そのような考え方がこうした形で特許法に組み込まれたということも本判決が除外された一因であるかもしれない。
カ 最判昭56・6・30〔長押事件〕
登録実用新案の技術的範囲に属するか否かの判断に当たって製造方法の相違を考慮することはできない旨を判示した判決である。プロダクト・バイ・プロセス・クレームに係る特許発明の技術的範囲の確定は物同一説による旨を判示した最高裁判決[9]が第5版に引き続き第6版でも採択されるため、採択されなかったと推測される。
キ 最判平元・11・10〔第三級環式アミン事件〕
特許出願した発明が内外の公開特許公報に掲載されることは新規性喪失の例外に該当しない旨を判示した判決である。平成23年改正によりその旨が法文上明らかにされたため、採択されなかったと推測される。
ク 最判平5・2・16〔自転車用幼児乗せ荷台事件〕
真の権利者でない者による出願に係る意匠が意匠登録され意匠公報に掲載された場合は、その意匠は公知となったのであるから新規性喪失の例外規定の適用がある場合を除き、真の権利者であってもその意匠について意匠登録を受けることはできない旨を判示した判決である。ただし経緯からみて、問題は意匠登録の可否ではなくそのような事情で意匠登録ができなくなったことを理由とする損害賠償請求の可否(意匠登録を受ける権利の法的性質)であるように思われる。形式的な判旨と実質的な判旨とが一致していないようにも見えるため採択されなかったということであろうか。
ケ 最判平12・2・18〔嗜好食品の製造方法事件〕
共同特許無効審判請求人(特許法132条1項)は請求不成立審決に対する取消訴訟を単独でも提起することができる旨を判示した判決である。第5版では、共同実用新案登録出願人は拒絶審決に対する取消訴訟を単独では提起することができない旨を判示した最高裁判決[10]、共有商標権者は無効審決に対する取消訴訟を単独でも提起することができる旨を示した最高裁判決[11]とともに採択されていた。そして両最高裁判決は引き続き第6版でも採択された。当事者の一方が複数の場合における審決取消訴訟提起の可否という論点で3件を費やすことは適切ではないため、採択されなかったということであろうか。
4 特許判例百選の出版間隔の短期化とその理由
特許判例百選の出版間隔は、初版から第2版、第2版から第3版はそれぞれ19年であるが、その後は8年、7年、6年と漸減している。したがって第7版の出版は本書籍の出版から5年後の2030年であると断言できよう。
このような出版間隔の短期化は、2002年2月の小泉元首相による施政方針演説における知財立国宣言を端緒とする、知財高裁設立をはじめとする我が国の知的財産活動の活性化や知的財産法に対する関心の高まりが理由であると思われる。しかし、一連の出版業務の効率化により生じた余剰が出版社の利益にも充てられ出版社が1つの版に対する投資を短期間で回収できるようになったという理由もあるかもしれない。もっともこのことも、見方を変えると効率化された分改訂頻度が増えて得られる利益は変わらないという話になってしまいそうではあるが。
5 おわりに
第5版で採択されていた最高裁判決が本書籍で除外された理由は概ね、旧法から現行法への移行、現行法の改正又は関連する最高裁判決の出現という広義の法改正であり、宜なるかなというところであった。
また、粗い推論に基づくものではあるが、技術進歩による一連の出版業務の効率化の恩恵が内容の充実・出版間隔の短期化という形でユーザーにも届いていることが看て取れた。まるで特許制度の面目が特許判例百選において躍如しているかのように感じられ、大変興味深かった。そして、そうした効率化の恩恵が個々の解説の充実という形でも現れているに違いないという確信を得るに至り、改めて本書籍の解説を1件1件きちんと読み込んでいこうという気になった次第である。本コラムを目にして頂いた方はいかがであろうか。…何やら本書籍のPRめいた締めになってしまったが、冒頭述べたとおりそのようなつもりはなかったのである。
加藤 幹(特許庁)
[1] 日本銀行Webサイト,https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/history/j12.htm
[2] また、この間に普及し衰退した技術としてファクシミリやワープロ専用機などがある。
[3] 本書籍の「はしがき」参照。
[4] 最判令元・8・27〔アレルギー性眼疾患治療薬事件〕、最判令2・9・7〔樹脂フィルムの連続製造方法事件〕、最判令7・3・3〔コメント配信システム事件〕
[5] 最大判昭和51・3・10〔メリヤス編機事件〕
[6] 最判平4・4・28〔高速旋回式バレル研磨法事件〕
[7] 最判昭52・10・13〔薬物製品事件〕
[8] 例えば第5版における本判決の解説は、「危険の防止と発明の完成」という標題でありながら、紹介する判旨では「危険」あるいは「安全」という用語を含む箇所を引用していない。
[9] 最判平27・6・5〔プラバスタチンナトリウム事件〕
[10] 最判平7・3・7〔磁気治療器事件〕
[11] 最判平14・2・22〔ETNIES事件〕