休暇(上野達弘)
「私は現在休暇中で、その件は来月半ばまでにお返事します。敬具」
夏である。夏といえば休暇、とはいかないのが日本である。多くの日本企業では夏だろうが冬だろうが、長期の休暇を取ることは難しい。それが日本社会というもののようである。
この点、少なくともヨーロッパは状況が異なるようだ。私が留学していたドイツでも、人生で最も大切なものは「Urlaub」(休暇)だといわれていた。
ある統計によると、ドイツ人は年間約30日の有給休暇を取得し、75%の人がそのすべてを消化しているという。年間30日というと土日を含めて6週間休むことができる。夏と冬に3週間ずつバカンスに出るというのはヨーロッパではごく普通のことなのである。
特に夏の休暇は大がかりである。ヨーロッパでは、大学も、オペラも、コンサートも、サッカーも、1年の真ん中を境にシーズンが始まり、終わる。そうしたシーズンが「Saison 2011/12」などと表記され、年間パスもそれがひとまとまりになっているのはそのためだ。夏はいわば空白期間であって、この時期にヨーロッパを旅行しても、オペラやコンサートはシーズンオフ。各地で音楽祭が開かれてはいるが、有名なオーケストラを聴きに行っても、普段とは異なるメンバーが演奏しているのを見ることになるかも知れない。
そんなドイツ人に最も人気のある休暇の過ごし方は旅行である。ある統計によると、2010年に5日間以上の休暇旅行をしたドイツ人は全体の75.5%に上る。そんな休暇旅行の60%が外国旅行であり、特にスペインがドイツ人のお気に入りである。「マヨルカ島はドイツの17番目の州なんだ」というジョークがあるほどだ。
もちろん休暇に入ると不便なこともある。担当者が不在でも同じ業務が維持されるのを当然と考える日本と違って、個人主義のヨーロッパでは、ある人が担当していた業務が休暇明けまで動かなくても仕方ないと考える風潮があるように思われる。
また、休暇中の人には基本的に連絡が取れないと思った方がよい。それは最先端で忙しく活躍している人でも変わらないようだ。実際、冒頭のメッセージはベルリンの著名な弁護士兼教授であるK氏から最近送られてきたものに他ならない。日本側から日程を問い合わせただけなのだが、しばらくしてやっとかえってきた返事である。日本人の感覚だと、いくら休暇中でもメールくらい読めるはずだとか、日程くらいちょっと調べて回答して欲しいとか考えてしまいそうになるが、ドイツ人が休暇中にもかかわらずメールを送ってくれたというのは、我々に対する特別な配慮だったと今の私には思える。
その日本である。一人あたりの国内総生産(GDP)はドイツとほとんど変わらないにもかかわらず、ある統計によると、日本で給付されている有給休暇は平均16.6日にとどまる。しかも実際には平均9.3日しか消化されておらず、すべての休暇を消化した人は6%しかいないそうである。
"みんな我慢しているのだから自分も我慢して一緒にがんばる"という日本人の集団主義的メンタリティは、とりわけ災害のとき世界に誇るべき強さを発揮する。それは我々が最近あらためて目の当たりにした通りである。しかし、そうしたメンタリティは、自分だけ会社を休むのは忍びない、いくら制度があっても長期休暇を取るなんて到底無理、という形であらわれる。ひょっとしたら日本人は、仕事を休むこと自体何となく気が引けると感じてしまう民族なのかも知れない。
日本人は働き過ぎている。そんなイメージはヨーロッパでも定着しているようだ。残念なことに、Karoshi(過労死)というのは、TsunamiやKamikazeと同様、日本語からドイツ語になった外来語の一つである。それは、日本の地下鉄に女性専用車両というものがあることや、日本の電車は「人身事故」によってしばしば運休することなどと同様、できれば外国人に説明したくない負の側面でもある。
「でも、日本人は別に嫌々仕事しているわけではないですよ。私自身、ゆっくり休むより、仕事に明け暮れる東京の生活を楽しんでいましたよ。」
ドイツに暮らし始めた頃は私もそんなことをいっていた。ところが、彼らドイツ人も仕事を嫌がっているわけではなさそうだ。仕事は仕事として楽しみつつ、プライベートも充実している。ゆとりのある広い住宅に暮らし、外国も郊外の湖も近く、美しい池や公園はもっと身近にあるという環境。家族と過ごすことが最大の幸福という彼らの価値観は、そんな環境で培われたものかも知れない。
そんなヨーロッパライフを真似ようとする日本人を、かつては私も「ドイツかぶれ」と冷ややかに見ていたところが正直ある。いやむしろデパートや店舗がすべて20時に必ず閉店し、完全閉店の日曜日は一見するとゴーストタウンのようになるドイツの街は、いささか退屈に感じられたものだった。その私がいつしか彼の地のシンプル&スローライフに感化されているというのだから弁解の言葉もない。
もちろん、ドイツだって失業、移民、社会保障制度などさまざまな問題を抱えていることはたしかである。それでも、まさにワーク・ライフ・バランスが取りざたされている昨今の日本において、ヨーロッパから日本社会を見つめなおしてみる意味は小さくないように私には感じられるのである。
ただ日本でも、大学というところは1ヶ月程度の夏期休暇があるという稀有な職場である。私もせっかくヨーロッパに留学したのだから、シンプル&スローライフを日本で実現するのだ。原稿や講演の仕事はきちんと管理して計画的でゆとりのある生活をするのだ。そんな決意をしたはずの私、今このコラムを執筆しながら、午前3時半を静かに告げる時計から目をそらした。かなしいかな、これが現実。
<参考>
*Deutscher ReiseVerband (DRV), Fakten und Zahlen zum deutschen Reisemarkt 2010
http://www.drv.de/aktuelles/fakten-und-zahlen-zum-reisemarkt/jahresuebersichten.html
*FUR - Die Forschungsgemeinschaft, Die 41. Reiseanalyse RA 2011
http://www.fur.de/
*Expedia 有給休暇調査 2010
http://www.expedia.co.jp/corporate/holiday-deprivation.aspx
*Liste deutscher Wörter aus dem Japanischen
http://de.wikipedia.org/wiki/Liste_deutscher_W%C3%B6rter_aus_dem_Japanischen
・浜本隆志=柳原初樹『最新ドイツ事情を知るための50章』(明石書店、2009年)・福田直子『休むために働くドイツ人、働くために休む日本人』(PHP研究所、2004年)
・福田直子『大真面目に休む国ドイツ』(平凡社、2001年)
上野達弘(立教大学法学部教授〔当時〕)
2011年7月29日