ソ連知財調べ物雑感:創作者であることの権利(право авторства)(森綾香)
【はじめに】
博士課程2年の冬、今から約1年前にあたる2024年末、私は博論執筆が捗らない腹いせに、ロシア語学習に手を出した。最初こそ何かに没頭して気分を紛らわしたかっただけであった。しかしそれはいつの間にか良き趣味と化し、気が付いたら約1年間、細々と勉強を続けていた[1]。
この度RCLIPのWebコラムを書くよう指名をいただき、さて何を書こうかと考えた折、何かしらロシア語の関わる知的財産法の「調べ物」をしてみたという趣旨のコラムを書くのも一つの手として有りなのではないかと思い至り、筆を取る次第である。
【今回の調べ物のテーマ:発明者の権利について】
// 端緒
今回の調査のテーマとして取り上げたいのが、特許法における発明者の権利である。特許法の議論として、一般的に、発明者には特許を受ける権利と発明者名誉権が存するとされている。発明者の権利のうち、財産的な部分が特許を受ける権利であり、そうでない部分が発明者名誉権であるとも整理される。そして後者の発明者名誉権は、特許公報に発明者として記載される権利である。この権利を直接的に明文で定める規定は日本特許法に存在せず、パリ条約4条の3が特許法26条を介して直接適用されている。発明者名誉権は、人格的な権利として説明されることもあれば、人格的な権利というには薄弱であると説明されることもある。
この発明者名誉権の性質の話に興味を持ち、文献を調べているうちに、中山信弘『発明者権の研究』(東京大学出版会、1987年)の222頁の脚注内に、ドイツ語文献における次のような見解が紹介されているのを見つけた。「Didier, Die Angestelltenerfindung (1934), S. 48 f. は次のように述べている。発明者の名誉権を立法的に認めるということは、発明者たる従業者にとって、自己の人格権や労働を認められたということを意味する。それは彼の責任感を高め、創作的行為への刺激となる。特許証に氏名を記載され、単に一企業においてに見ならず、広く知れ渡るということは、彼の創作の喜びを高める。このことは、彼が従事している企業にプラスとなる[2]。」(222頁)。これは発明者の権利の一つである名誉権と、人格権や労働とが結びついているとする見方といえよう。そこで私は、あまりに単純な発想であるが、「労働」といえばやはり真っ先に思い浮かぶのはソ連だろうということで、果たしてソ連では発明者の権利の性質がどのように考えられていたのか、もう一歩踏み込んで言えば、「発明者の権利の中に人格的権利のような性質が認められていたか否か」が気になり、ソ連時代の特許制度を少し調べてみることにした。
// ソ連特許制度の概要
ソ連特許制度は、民法典における基礎的な条文に加え、法律の下位規範である規則によって具体的なルールが長らく定められていた[3]。しかしソビエト崩壊の前に、個別法制定の動きが生じ、1991年5月31日、ソビエト連邦における発明に関する法(Закон СССР № 2213-I от 31.05.1991 г. «Об изобретениях в СССР»)が制定された(以下1991年法とする)[4]。1991年法は、社会主義国特有の制度であった発明者証制度を廃し特許制度に一本化していたり、前文においてかつては存在した「社会主義」の語が消えていたりするなど、西洋の特許法に足並みを揃えようとする傾向、そして当時のソビエトの脱社会主義的な傾向を示し始めてはいるものの、未だソ連的な特許制度の性格を保有していたものと解されている[5]。
// 1991年法における発明の創作者性に係る権利
そんな1991年法には、以下の通り、発明者の創作者としての権利に関する明文規定が存在していた。
Статья 2. Авторство на изобретение
3. Автору изобретения принадлежит право авторства, которое является неотчуждаемым личным правом. Авторство на изобретение охраняется бессрочно.
第2条 発明に係る創作者性
3. 創作者であることの権利は発明の創作者に属する。当該権利は収用不可能な個人的権利〔личное право〕である。発明に係る創作者性は無期限に保護される。
ここにおいて、創作者であることの権利(право авторства)というのは、創作者として認められることの権利という意味であると理解できる[6]。発明の創作者に対して創作者であることの権利というものが真正面から明文で規定されていること自体も、収用不可能(неотчуждаемый)で個人的(личный)であるとして法的な性質まで踏み込んで規定しているのも、興味深い。
// 発明者の権利及び特典
それでは、そんな発明の創作者たる発明者に対して実際に保障されていた権利あるいは利益とは、一体何だったのか。以下では、その内容を見て行く。
1991年法の条文を追って行くと、まず、11条は発明の出願の公開に関して定めており、その第2項において、出願に関して公開される資料において発明者として言及されることを拒否する権利を有することが規定されている。16条は、公開される特許情報には発明者が記載されることを規定する。17条は、特許権者でない発明者に対して、発明者性を証明する証明書が交付されることを規定する。
そしてさらに35条以下には、「III. 発明者の労働上及びその他の権利並びに特典」(III. Трудовые и иные права и льготы изобретателей)とのタイトルで、その発明者の権利の内容を規定する一連の条文が存在する。ここに掲載するには条文が少々長いため、要点だけ述べるならば、発明者にはおおよそ以下のような権利・特典が与えられることとなっていた。すなわち、発明の使用準備のための作業(技術文書の策定、製品の実験用サンプルの製造及び試験、生産の組織化)に参加する権利(35条1項)、使用準備のための作業を行うにあたっての主たる職務からの免除及び賃金の保障(同条2項)、使用準備が恒常的居住地外で行われる場合の追加的費用の補償(同条3項)、勤続年数や休暇等に関する権利や特典の保障(同条4項)、人員削減の際にも雇用が優先的に維持されることの保障(同条5項)、発明の導入により賃率が下がった場合にも6ヶ月間は元の賃率で支払われることの保障(同条6項)。住宅に関する特典(住宅用の追加的な土地を得る)(36条)。発明に自己の名前又は特別な名称を付す権利(37条1項)。また、発明の出願/発明の使用/報酬に関する権利は相続によって移転する(38条)ことも定められている。
以上が、1991年法における発明者に認められた権利・利益のおおよその中身であった[7]。特許を受ける権利を除いては発明者名誉権のみという日本の現在の制度に比して、ソ連の発明者は遥かに多くの利益が保障されているようだが、やはりそのいずれも、中央集権的かつ労働や名誉といった価値を重んじるという実にソビエト的な背景と、密接に結びついている印象を受ける。
// 結論?
本コラムの冒頭で述べたように、私はソ連の発明者の権利の中に「人格的権利のような性質が認められていたか否かが気になり」、この一連の「調べ物」を始めた訳であったので、ここでその点についての少々なりとも考察を行っておかねばならない。
1991年法2条3項は、「収用不可能」で「個人的」なものとして創作者であることの権利を無期限に保護していた。当時、発明者が当該発明の創作者であるという事実がそれだけの重大性を持って捉えられていたことが伺える。
とはいえ、同規定が発明を創作した者に対して「収用不可能」で「個人的」な創作者の権利を明文で認めているといっても、それはあくまで、創作者「である」ことの権利(право авторства)の保障に過ぎないということは注意すべきだろう。単に創作者「の」権利の保護というのならば、おそらくправо автораになるはずである。
そのため仮に最低限、この創作者「である」ことの権利というものが、移転もされ得ず個人に結びついておりある種の人格権的な性格を持っているように見えたとしても[8]、それは必ずしも、2条3項以外の箇所で定められている発明者の有する各種の権利までもがそのような性格を有することにはつながらないのである。
ただ、上記に見た通り、38条がそれらの権利の中でも相続可能なものとして発明の出願/発明の使用/報酬に関する権利のみを挙げている点は注目に値する。逆に言えば、例えば、発明の使用準備のための作業(技術文書の策定、製品の実験用サンプルの製造及び試験、生産の組織化)に参加する権利(35条1項)や、発明に自己の名前又は特別な名称を付す権利(37条1項)などは、(人格権のようなものとは断言できずとも)少なくとも移転不可能な性質を有しており、より創作者その人個人と結びついたものと解することもできるだろう。
ともあれ、発明者の権利が個人の人格と結びついたような強い人格権のようなものとして認められていたかどうかという当初の問いに対する回答は、一部そう見えるような権利が存在するのではないかということが観測できるのみであり、やはり条文を追うだけではどっちともつかず、結局もっと調べてみないとやはりよくわからない、ということになろう。
【おわりに】
最後に、早稲田大学近辺のおすすめのロシア料理店「ロシア料理|チャイカ」[9]を紹介する(詳しいメニューやお店の位置などは注に記載のURLをご参照いただきたい)。同料理店では、ピロシキ、ボルシチ、ビーフストロガノフといった定番料理から、ペリメニ、テフテリ、シュクメルリまで、ロシア料理を中心とした東欧の料理を楽しむことができる。
内装も凝っており、東欧的なデザインの美しい食器や、プラトークを被った女性の絵画など東欧を感じるアイテムが設置され、木の材質を基調として作られた店内は、異国を感じつつも非常に落ち着く雰囲気となっている。
チャイカ(чайка)とはカモメを意味するロシア語であって、店の標章にはカモメを模した図形が含まれている(ちなみに作曲家のチャイコフスキーのチャイコフの部分も、同じ語なのだそうだ)。また、私の個人的なおすすめメニューである「トロイカセット」のトロイカは3や3つ揃いのものを意味する言葉で、3頭立ての馬車などという意味もある。
今後も早稲田大学知的財産法制研究所RCLIPでは、さまざまな対面イベントが予定されている。このコラムをここまで読んでくださった皆様が、上記のような機会に早稲田大学へいらっしゃった際、万が一このコラムの「おすすめ」を思い出すようなことがあり、良き食事のひと時を楽しんでいただけたならば、大変に幸いである。
[1] 早稲田大学国際教養学部2025年度ロシア語クラスの聴講を快くお許しくださった早稲田大学のエレナ・シャドリナ教授及び中澤朋子先生に、そして日々共に学ばせていただいている同授業の受講生の皆様に、この場を借りて厚く御礼申し上げる。
[2] 中山信弘『発明者権の研究』(東京大学出版会、1987年)222頁、脚注(2)
[3] 詳細は石川惣太郎『ソビエト特許制度の解説』(全訂版、発明協会、1974年)16頁以下参照。
[4] 法制定の経緯については石川惣太郎「ソビエト工業所有権法の残光」成城法学39号4頁以下参照。
条文は以下で参照可能。https://www.wipo.int/wipolex/en/legislation/details/6805(最終閲覧日2025年11月20日)
尚、2006年の法改正により、知的財産法関連の条文が民法第4部に集められることとなり、知的財産法の地位は向上したものとされている。近年の知的財産関連法の概要について、詳しくは黒瀬雅志『ロシア知的財産制度とその実務』(一般財団法人 経済産業調査会、2013年)8頁
[5] 詳しくは、前掲注(4)・石川12頁以下参照。また、同文献によれば、社会主義の色合いのまだ濃かった1988年の発明活動法案の前文はより詳細なものであり、例えば以下の内容を含んでいたという。すなわち、「法は、企業(合同体)、機関、組織及びその勤労者集団の、発明創作及び利用に対する経済的関心を高めることを目標とし、科学・技術創作に関与する者に対する精神的及び物質的刺戟の方策を定める」(13頁)。
[6] 中澤英彦編『プログレッシブロシア語辞典』(小学館、2015年)では、авторствоの項目で「著者[作者,発明者]であること」との意味が掲載されていたので、ここではその訳を参考に、創作者「である」こと、と訳している。
また、現行ロシア民法の著作権法部分にあたる民法1265条の中でもПраво авторстваの語が登場するが、そこでは「発明者であることの権利、すなわち作品の作者として認められる権利」(Право авторства - право признаваться автором произведения)とされている、
[7] 法文の中のавтор(英語のauthorに相当する)という言葉を辿ったところ、他にも発明者に関するルールは複数存在した。例えば同法31条以下には発明の使用と報酬との関係の規定などがあったが、ここでは割愛させていただく。
[8] そもそも日本法の議論における人格権とличное правоは一致する概念というわけではなさそうな点にも留意が必要である。
[9] http://chaika.co.jp/(最終閲覧日2025年11月20日)