高林龍先生の最終講義に際して(上野達弘)

※ 以下は、高林龍先生(早稲田大学名誉教授、RCLIP顧問、弁護士)最終講義(2023年3月11日)に当たって作成されたものです。ここに改めてご紹介させていただきます。

 高林龍先生は、1952年12月12日、宮崎県にお生まれになり、都内の高校をご卒業後、早稲田大学法学部に入学され、1976年3月に本学法学部をご卒業されました。

裁判官時代

 司法試験に合格された高林先生は、1976年より2年間、司法研修所において司法修習をされた後、裁判官の道を進まれます。1978年、東京地方裁判所に判事補として任官された後は、那覇地裁、東京地裁、松山地裁の裁判官を歴任されますが、特に、1983年から1986年におられた東京地裁・知財部では、牧野利秋先生や飯村敏明先生などと裁判体を形成され、パックマン事件(東京地判昭和59年9月28日)レオナール・フジタ事件(東京地判昭和59年8月31日〔第一審〕)当落予想表事件(東京地裁昭和61年3月3日〔第一審〕)など、多数の知財事件を担当されました。

 その後、1990年には、(最高裁において最高裁判事の審理を補佐するポストとして裁判官の中でも特に優秀な者が選抜される)最高裁判所調査官に就任され、1995年までの間に、主に知財事件を担当されました。いわゆる『最高裁判所判例解説』(法曹会)にも、高林先生がお書きになった判例解説が6本収録されておりまして、その中には、特許法に関するクリップ事件(最判平成3年3月19日)高速旋回式バレル研磨法事件(最判平成4年4月28日)、あるいは、商標法に関する「SEIKO EYE」事件(最判平成5年9月10日)など、重要な最高裁判決が含まれます。

研究者への転身

 このように、高林先生は、裁判官として華々しい17年間を過ごされますが、その後、研究者に転身されます。早稲田大学から誘いの声がかかってから、しばらく悩まれたとうかがっておりますが、結局、1995年4月に、早稲田大学法学部に助教授として赴任されることになるわけです。

 翌1996年には早くも教授に昇格され、さらに、1997年から3年間は、米国ジョージ・ワシントン大学ロースクールにおける在外研究も行っておられます。

 以来、高林先生は、28年間、この早稲田大学法学部で研究・教育の両面でご活躍されました。

研究活動

 ご研究の内容は、大変幅広いものがありますが、とりわけ特許法を中心とする知的財産法上の諸課題について、裁判官としてのご経験とご知見を背景にした独自の考究を展開され、理論的にも実務的にも説得性の高い総合的な学説の体系を構築されました。

 その成果は、膨大な数の業績として公表されていますが、とりわけ、2002年以降に刊行されている『標準特許法』に凝縮されていると言えます。この『標準特許法』は、初版以来3年ごとに改版を重ね、2020年には最新版である第7版が刊行されておりまして(注:2023年12月に第8版刊行)、文字通り、特許法分野における揺るぎないスタンダードであると共に、知的財産法の分野全体におきましても他に類を見ないベストセラー作品であります。2010年には、その姉妹本である『標準著作権法』も刊行が開始され、こちらも3年ごとに改訂を重ねており、昨年(2022年)12月には最新の第5版が刊行されております。

 ちなみに、これらの2冊は、本の帯に書かれた宣伝文にも「律儀な改訂」(『標準特許法』第7版)とありますように、実に正確に3年ごとの改訂が行われておりますが、その改訂は、いずれも毎回、お父様のご命日である9月2日にご脱稿され、お母様のご命日である12月18日に発行されている次第であります。これは、高林先生のご自身の律儀な性格のあらわれであると共に、いかにご家族思いであるかがよく分かるエピソードと言えます。なお、高林先生のお父様は、元東京高裁判事で、『特許訴訟』(1998年)『特許行政法』(1984年)のご著書もある高林克己(1920年~2000年)先生であります。

 こうして、高林先生は、早稲田大学での28年間におきまして、かつては専門家の少なかった知的財産法分野の発展に寄与してこられました。2004年には、早稲田大学・知的財産法制研究所(RCLIP)を創設され、その所長に就任し、文部科学省21世紀COEプログラム、同グローバルCOEプログラム、早稲田大学重点領域研究といった、超大型の研究助成を受けた研究活動を行いました。このRCLIPは、現在でも、国際シンポジウムを中心とする非常に多数の学術イベントを開催するなど(2023年3月4日にも、ドイツ等から著名人を多数招聘した国際シンポジウム「欧州の単一特許制度・統一特許裁判所の動向」を開催したばかりです)、非常に活発な研究活動を継続しております。

 現在わが国では、知的財産法学といえば早稲田大学、と言われるほど、日本における知的財産法の一大研究拠点となっておりますが、これを1から築かれた高林先生のご功績は極めて大きなものであります。それは、知的財産法学にとりましても、また、早稲田大学にとりましても、大変幸運で慶賀に値するものと言えます。

教育活動

 教育面では、学部における授業やゼミはもちろん、2004年の法務研究科(ロースクール)の設立にも尽力されたほか、早くから社会人教育の重要性に着眼され、すでに、2001年には、大学院法学研究科における社会人教育プログラム「知的財産紛争と法」を開講されています。そして、2018年には、大学院法学研究科に1年制の「知的財産法LL.M.」を開講され、今日までの5年間にも多種多様な受講生を受け入れてまいりました。このような本学における様々な知的財産法教育プログラムは、わが国においても有数のものでありまして、現在も国内外で高い人気を誇っているところであります。

 さらに、高林先生は、極めて多数の大学院生を育ててこられまして、特に研究者養成や留学生教育にも多大な実績を上げられました。実際のところ、高林先生のお弟子さんのうち、大学教員をされている方は、国内外ですでに12人もおられます。17年間にわたる裁判官生活の後、大学に28年間おられた中で、このように多数のお弟子さんを育てられたことは、驚嘆というほかありません。

 なお、高林先生は、教育においても非常に厳しいところがあり、学生さんの間では、冷徹で怖い先生というイメージを持っておられる方もひょっとしたら少なくないかも知れませんが、その一方で、高林先生は、情に厚く、人間的な愛に満ちた方でもありますので、多くの学生から愛されてきました。

社会活動

 その他、社会活動の面につきましては、例えば、日本工業所有権法学会において、2003年以降、理事を務められ、2015年からは、そして現在もなお、理事長をお務めでいらっしゃいます。そのほか、著作権法学会・理事、デザインと法協会・副会長、日本弁理士会中央知的財産研究所・外部常議員なども歴任しておられまして、学会等におかれましても大きな役割を果たしてこられました。

将来展望

 以上のように、高林先生は、早稲田大学、そして、知的財産法学に多大な功績を残されました。そのような功績に対しまして、心から敬意と賞賛の意を表したいと存じます。

 高林先生がレールを敷かれた様々な知的財産法教育プログラムは、本学にとりましても貴重かつ重要なものでありまして、これを将来にわたって継続・発展していくためには、本来であれば、高林先生の存在は不可欠であります。やむを得ず本年3月をもって定年退職されることにはなりますが、4月からもRCLIPの顧問としてご留任いただけるとのことでありますし、先生におかれましては、先生ご自身が礎を築かれた「早稲田知財」をこれからも、そしていつまでもリードしていただけることを、心から祈念しております。

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