RCLIPコラム

2016年度

2016年7月 「夢の印税生活」 (RC 安藤 和宏)

「夢の印税生活」

 少子高齢化社会が到来し、18歳人口が年々減少しているため、どの大学も志願者を増やそうと悪戦苦闘している。私の本務校である東洋大学も例に洩れず、入試部が「学びLIVE」や「オープンキャンパス」といったイベントを積極的に開催して、現役高校生に大学を知ってもらおうと日々努力を重ねている。また、出張講義と称して、大学教員が全国各地の高等学校に赴き、50分の授業を行うという広報活動も展開している。
 このようなイベントや広報活動には、当然に大学教員の自主的かつ積極的な協力が不可欠である。現役高校生に「この大学の授業は面白い」とか「この大学の先生に習いたい」と思わせるような授業をしなければ、イベントを開催した意味がない。つまり、大学教員は何の予備知識もない高校生に分かりやすい授業をすることが求められるのだ。これは高校での教員経験がない大学教員にとっては、なかなかハードな試練である。
 幸い、私は大学卒業後2年間、高校の教師をやっていた。とある私立学校で社会科(正確には日本史と政治経済)を教えていたのである。この経験が30年後に活きてくるとは、当時は想像もつかなかった。さらに私の専門は音楽著作権なので、万人受けするテーマを持っている。ずばり「夢の印税生活」である。どんな人でも一度は印税生活を夢見るだろう。したがって、私は必ずこのテーマで高校生向けの授業をすることに決めている。
 講義の内容は、音楽ビジネスにおいて音楽著作権がどのように機能しているかを説明するものだが、冒頭で紹介するのがオリコン・ベストテンとJASRAC国内分配額ベストテンである。両者の曲のラインアップがかなり異なることを示すと、高校生は一様にびっくりする。そして、放送、CM、カラオケ、出版、コンサートにおける音楽の使用に対しても、著作権使用料が支払われていることを知ると、ランキングの順位に納得して帰っていくのである。
 興味深いことに、最近は高校生が親と一緒に授業に参加することが増えている。私が高校生の時は反抗期真っ盛りだったので、親と一緒に外出するなんてあり得なかった。仲良く授業を聞いている姿を見ていると、もう少し親孝行をすれば良かったと反省しきりで授業をするのである。親同伴の場合、高校生だけに焦点を当てるのはよろしくない。やはり、ここは親御さんにも大学のファンになってもらわねばと、そちらの世代にも受けるネタをいくつか用意している。なかなか大学教員も涙ぐましい努力を重ねているのである。
 誰もいなくなった教室で、参加してくれた高校生の感想文を読みながら、これからも一人でも多くの高校生の好奇心を刺激して、知的財産法の世界に興味を持ってもらおうと思う今日この頃なのである。

(知的財産法制研究所招聘研究員 安藤 和宏)

2016年6月 「もう一人の私の著作物」 (知的財産法制研究所招聘研究員 小川 明子)

「もう一人の私の著作物」

 ペンネームを使うことは、小説はもとより、美術でもその例は多く、写真家のマン・レイ(Man Ray)の本名はEmmanuel Radnitzkyであり、かのパウロ・ピカソ(Pablo Picasso)にしても、本名はPablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picassoと103のアルファベットから成る。
 ペンネームは一つとは限らない。弁護士ペリー・メイソン(Perry Mason)シリーズを書いた作者E.S. ガードナー(Erle Stanley Gardner)は、A.A.フェア(A.A.Fair)の名で私立探偵ドナルド・ラム(Donald Lamb)シリーズを手掛けていることはよく知られている。ハリー・ポッターシリーズのJ.K.ローリング(J.K.Rowling)は、ロバート・ガルブレイス(Robert Galbraith)名でThe Cuckoo’s Callingを書いているし、修道女フィデルマ(Sister Fidelma)シリーズの作者ピーター・トレメイン(Peter Tremayne)は、古代アイルランドの専門家であるピーター・ヴェレスフォード・エリスであり、さらにもうひとつペンネームを持っている。
 つまりは、ペンネームを使うことは、著作者人格権の氏名表示権として著作者に保証された権利であり、自分の作った作品を如何なる名称のもとに公表するかは作者が自由に決定してよい、はずである。

 そのような中、著作権法の存在にも関わらず、大きな波紋を呼んだ事案がある。それは、エディ・バラップ(Eddie Burrup)の作品である。バラップは、すでに80代半ばで、牧畜業を営み、刑務所に入る常習犯であり、地図を描く、西オーストラリアの広大な領域にアクセスする権利を持つ先住民の「高位の男」である 、と信じられていた。バラップの作品は、1996年にアボリジナル及びトレス諸島民芸術賞をも受賞している。
 しかし、エディ・バラップの正体は、先住民ではなく、男性でもなかった。白人の一家デュラック家の二人姉妹の妹のエリザベス・デュラック(Elizabeth Durack Clancy)であり、聖ミカエル・聖ジョージ勲位及び大英帝国勲位の持ち主だったのである。
 地理的な遠さに加え、ゴーストライターに作品を作らせたり、盗作したりすることをよく目にする日本から見れば、変名で作品を作ることのどこが悪いのかと受け取ったり、人によっては、これは面白い試みであると考えたりすることもあるかもしれない。しかし、この問題の背景には、オーストラリアにおける先住民と植民者との間の長く悲しい歴史が存在しているのである。
 オーストラリアにおける先住民のアート作品には、特別な意味合いが込められている。先住民はクランと半族といった二つの方法で分類されており、地域的なグループがクラン、自分と動物や植物等の世界との関わりが半族で表される。先住民は元来、祖先が歩んできた歴史や未来についての儀礼の一部として地面、岩、人の肌などにアート作品を描いてきた。そのアート作品の表現方法にはコンテクストがあり、自分が属さないクランの絵を、その管理者に許諾を取ることなしに描くことはない。
 デュラックは、1994年、エディ・バラップを生みだし、高い評価と数々の賞を受けた。1997年に自身の偽名であることを公表した。それを知ったシドニー現代美術館のアボリジナルアート専門学芸員は、「これまで、先住民を虐殺し奪い取ってきた他に、私たちから搾り取り得る最後のもの」を奪ったと述べた 。
 デュラック自身は、自分の幼少時代にそばにいた先住民を見て、彼らの表現を知ったものである。自分が使いたいと思う技法や表現に正直であり、エディとして描くことが、彼女にとっての表現だったのかもしれない。しかし、先住民側にとって、18世紀にヨーロッパ人がやってきてからの250年間、虐殺され同化を強いられ子供を奪われようやく自決を勝ち取った歴史の中で、自らの文化や儀礼を表すアートを、あたかも先住民であるかのような態度で(ただし、先住民の暮らしや苦労もせず)使うことに対し、大きな議論が巻き起こることは必然だったように思われる。すなわち、同じオーストラリアに住みながらも、先住民の慣習法と、非先住民の法が必ずしも一致していなかったからである。
 エディ・バラップ、AKA、エリザベス・デュラックは、アボリジナルの画家としての絵画を、非アボリジナルの著作権概念のもと制作した。そのような状況において、著作者人格権の氏名表示権を主張することは、なんら意味を持たないのは、このような法律が、アボリジナルの慣習法とは別の場所にあるからに他ならない。

*1  原文は、”…In his mid-80s, Burrup was a stockman, jailbird, cartographer and maban ‐a tribal honorific meaning “Man of High Degree” with tribal access rights to huge acres of Western Australian bush territory.”
“The scandalous outing of Eddie Burrup”, 2000年7月26日付け英国Independent誌記事より(2016.3.15アクセス)http://www.independent.co.uk/incoming/the-scandalous-outing-of-eddie-burrup-734163.html
*2 Ibid.

(知的財産法制研究所招聘研究員 小川 明子)

2016年5月 「智慧財産法院開設8年目 苦悩と精進の日々」 (RC 陳 柏均)

「智慧財産法院開設8年目 苦悩と精進の日々」

 今年の7月になると、台湾の智慧財産法院は、設立8周年を迎えます。特に節目の年ではありませんが、2年後の10周年を実りある年にするべく、智慧財産法院は、様々の変革を進めています。
 きっかけは、2013年12月27日からの二日間に開催された特許分野の産官学シンポジウム*1 。その場で、智慧財産法院の発足以来、全国の侵害訴訟実務において蓄積してきた問題点が取り上げられました。まず、特許権者の勝訴率は、全国の案件で統計する場合は、たったの11.6%;次に、智慧財産法院で審理された案件のうち、特許権が進歩性なしとして無効と認定された比率は66.95%;更に、侵害訴訟が一・二審ともに智慧財産法院で審理された場合、原判決維持の比率は97.1%;最後に、勝訴しても、損害賠償の金額は非常に低く、数件の億単位の賠償を勝ち取った特殊な例を除けば、長い裁判の末認められた賠償の金額は、一般的に50万台湾ドル以下でした*2
 こうして、智慧財産法院に対する批判は強いのですが、公正な裁判を行った以上、特許権者の勝訴率やら、原判決の維持率やら、そのような理由で裁判所を戦犯扱いするのは、あまりにも理不尽な話です。加えて、そもそも損害賠償の金額が低いというのは、智慧財産法院が発足する前にあった話だから、立法及び司法の全体がその責任を取るべきだと思います。ただ、一つだけ重く受け止めなければならないのは、侵害訴訟において、特許権が進歩性なしとして無効と認定された比率が7割近くに上ると、それは極端な数字だと言わざるを得ません。
 苦しい立場に立たされている智慧財産法院は、恐らく色々と悩んでいました。そして、無効認定率の低減にも取り組んでいましたが、その取り組みで、またもやまさかの結果が出てきました。2014年の末、智慧財産法院が公表した年間統計によると、侵害訴訟において、特許権が無効と認定された比率は、なんと31.75%でした。1年間のうちに、特許権無効の認定率が66.95%から31.75%までに下げたということは、それもそれで極端な変化に思えて仕方ありません。なぜなら、認定の基準をガラッと変えない限り、このような結果は出てこないからです。
 確かに、特許権無効の認定率が7割近くに上る原因は、裁判所の認定基準が厳しすぎることにあるかもしれません。だが、特許出願の審査にあたる行政機関の審査基準が緩すぎるせいで、裁判において無効認定の割合がここまで上ってしまったのも、考えられない話ではなく*3、実際に、行政当局である智慧財産局の審査基準の緩さを批判する声も存在します*4
 結局のところ、批判に影響されて右往左往をしても、批判は収まりません。智慧財産法院が本当に求められているのは、問題の根底を掘り出し、それを解決できる能力であり、私は、日々努力している智慧財産法院の裁判官たちは、皆その力を持っていると信じます。ですから、変えるべきものをちゃんと見極めて、個々の裁判官が自らの力を発揮できる環境を、どうか、守ってください。

*1 https://www.beclass.com/share/201312/740787981378jgx_0.pdfを参照。
*2 http://www.naipo.com/Portals/1/web_tw/Knowledge_Center/Industry_Economy/publish-179.htmを参照。
*3 実際に、脚注2で示した記事の作者も責任はどちらにあるかは明言しておらず、日本の特許庁が公表した報告書にも、前述の作者と同様の見解が掲載されており、その詳細は、http://www.jpo.go.jp/torikumi/mohouhin/mohouhin2/manual/pdf/taiwan12.pdfを参照。
*4 http://www.naipo.com/Portals/1/web_tw/Knowledge_Center/Infringement_Case/publish-78.htmに載っている記事が、その一例。

(RC 陳 柏均)

2016年4月 「TPPにおけるプロバイダ関連条項」 (RC 桑原 俊)

「TPPにおけるプロバイダ関連条項」

 TPP(Trans-Pacific Partnership 環太平洋パートナーシップ協定)に伴う法改正は多岐に亘り、知的財産制度に関連するものだけでも相当なボリュームである。現時点で法改正の対象になっているわけではないが、インターネット・サービス・プロバイダ(以下、プロバイダ)関連の点について、少し述べてみたい。
 TPPでは、知的財産制度関連は第18章に規定があり、18.82条では、著作権の侵害に関し、プロバイダが責任制限を受けるための条件を法令に定めることを要求している*1。「日本には、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(プロバイダ責任制限法)があるのだから、この要求はクリアしている」といえるだろうか。
 TPPの内容には、米国の制度に近いものが相応にある*2。プロバイダ関連規定もそうだとすると、想定されているのは、DMCAのノーティス・アンド・テイクダウン制度*3であろう。これに照らすと、日本のプロバイダ責任制限法は、「どうすればプロバイダが免責を受けられるのか」が必ずしも明確とはいえないので、18.82条の要求を充たしていないとされる可能性もある。
 もっとも、18.82条には例外がある。すなわち、注154において*4、政府の参加を得て設立されている利害関係者の組織が存在し、なおかつ、この組織において、著作権侵害通知の有効性を判断する際の手続が定められ、維持されることを要求している*5。日本では、プロバイダ責任制限法ガイドライン等検討協議会という組織が、「プロバイダ責任制限法 著作権関係ガイドライン」を定めているので、注154の要求を充たすかどうかが、次に問題となる。
 注154にいう、利害関係者というのは、「プロバイダ及び権利者の双方の代表者を含む。」と規定されている。プロバイダ責任制限法ガイドライン等検討協議会には、電気通信事業者団体と著作権関係団体(及び商標権関係団体)が入っているので、利害関係者の要件はみたすといえるだろう。問題は、「政府の参加を得て」の部分である。プロバイダ責任制限法ガイドライン等検討協議会は、総務省、文化庁、特許庁が入っているのだが、あくまでオブザーバー参加である。事柄の性質上、表現の自由と関連するので、政府がオブザーバー参加なのはある意味当然なのだが、それがために、ここにきて、この要件を充たすかどうかが微妙になっているわけである。
 この問題は、著作権業界ではあまりスポットが当たっているようには思われないし、法改正なり運用の変更に結びつくかどうかも未知数であるが、注目しておいてよい問題だと思っているので、今回取り上げた次第である。

*1 18.82条(訳は、内閣官房・TPP政府対策本部 TPP協定の暫定仮訳(http://www.cas.go.jp/jp/tpp/naiyou/tpp_zanteikariyaku.html)に基づくが、下線は筆者。以下同じ)

  • 1.締約国は、プロバイダが提供するオンラインサービスに関する適当な免責を確立し、又は維持する。この法的な救済措置及び免責の枠組みには、次の事項を定める
  • (a)【略】
  • (b) プロバイダが管理し、開始し、又は指示することなく行われ、当該プロバイダによって管理され、又は運営されるシステム又はネットワークを通じて行われる著作権の侵害について、当該プロバイダに対して金銭上の救済措置を課することを排除する効果を有する当該締約国の法令における制限
  • 2.【略】
  • 3. 各締約国は、侵害行為に対処するための効果的な行動を円滑にするため、プロバイダが1(b)に定める制限の適用を受けるための条件を自国の法令に定め、又はこれに代えてプロバイダが1(b)に定める制限の適用を受けない場合について定める。

*2 知財制度でいえば、例えば、実演とは、「別段の定めがある場合を除くほか、レコードに固定された実演をいう」としている点など。
*3 著作権侵害紛争が発生した場合、プロバイダは、削除依頼があったことを発信者に通知し(ノーティス)、コンテンツを削除する(テイクダウン)、という、機械的な対応を行いさえすれば、あとは、当事者間での訴訟の推移を見守れば足りる、という仕組み。
*4 TPPの原文では注154だが、政府暫定仮訳では注1となっている。
*5 締約国は、次に掲げる枠組みを維持することにより、この3にもとづく義務を履行することができる。
(a) 政府の参加を得て設立されている利害関係者の組織(プロバイダ及び権利者の双方の代表者を含む。)が存在すること。
(b) (a)に規定する利害関係者の組織により認定された団体が、著作権の侵害を申し立てる個々の通知の有効性につき、不当に遅延することなく、当該通知が錯誤又は誤認の結果でないことを確認することにより検証するための効果的な、効率的な及び時宜を得た手続……を当該組織が定め、及び維持すること

(RC 桑原 俊)

~2015年度

2016年3月 「著作権法と出版業界ルール」 (知的財産法制研究所招聘研究員 足立 勝)

「著作権法と出版業界ルール」

 業界内でのみ理解されている事項というものは存在する。最近知るに至ったこととして、医師も含め医薬品の業界では、特許保護期間が満了し様々な会社が販売する薬をジェネリック医薬品というのに対して、特許権で保護されていた薬がブランド品と呼ばれることがより一般的になってきている。ジェネリック医薬品は、薬の成分の一般名称と販売者名の組み合わせで呼称される一方で、ブランド品は、特許保護期間中はもちろん特許保護期間が満了しても継続して販売され、販売者が登録した商標が付されているので、当然のことではある。ただ、先にブランド品が存在し、それに倣った商品が出てくること、例えば立体商標として登録されたYチェアに対して(*1)、その形状を模倣して販売されている椅子が「ジェネリック製品」と呼ばれて販売されていることなどと比べると、逆の観点からの発想のように思える。
 こうした業界内の決まり事は、外からは知りえないことが多い。

 出版業界でも、もしかしたら同じようなことがあるのかもしれない。
 最近、幸いにして書籍を出版することができた。その際に、非常に不思議に思えることがあった。私が、引用として、公表されている先行研究や刊行等にある写真や図表を利用したことにつき、当該引用元を発行している出版社等に了解を個別に取り付けるというのである。
 以前にも書籍に論文を寄稿した際にはそういったことは一度もなかったが、それらのときは判決文や特許庁のデータベースからの引用だったので、必要はなかったのであろうということであった。しかも、文章の引用においては出版社等の了解を取り付ける必要はなく、写真や図表については引用であると判断したものであっても、出版業界でのルールとして引用元の出版社等の了解を取り付ける必要があり(新聞誌面が写っている写真の場合は、新聞社にも)、過去にはその了解を取り付けるために時間や費用交渉を要し、そのため自社書籍等の出版時期が遅れたことは何度もあったというのである。
 確かに、出版社に所属する者が、執筆者の文章に基づき図表等を作成し、文章とともに掲載することはあると思われ、その場合作成された図表は二次著作物になろう。しかし、引用の場合に権利行使できないことは変わりがない。また、仮に出版社に了解を取り付けるなら、当該図表のもとになった文章の執筆者の了解も取り付けないと整合性はなさそうである。
 出版社が著作権法に基づいて事業を行っているものであること、著作権法に基づいて事業を行うものであること、出版社が電子出版物に対して何ら権利を有さないことから新たに著作隣接権の創設を求める活動をした結果、最終的に電子出版物に対応する出版権を認める著作権法改正(2014年)がされたこととあわせて考えても、著作権法とは別に出版業界内部ルールが存在しているということに、やや驚きを覚えた。
 インターネットや電子書籍などはなく、出版社がすべてを抑えていたころの名残なのかもしれない。あるいは、業界の一部、例えば法学系の専門書に限ってのことなのか。はたまた、引用について、文章については引用と明確に判断できるが、写真や図表等となると判断しづらいといった事情なのか。
 いずれにしても、拙著を世に出せたことはありがたい限りである。

(*1) 知財高裁平成23年6月29日判決(平成22年(行ケ)10253, 10321号 Yチェア立体商標事件)

(知的財産法制研究所招聘研究員 足立 勝)

2016年2月 「デジタル遺品問題と著作権」 (RC 志賀 典之)

「デジタル遺品問題と著作権」

 美味しいランチの写真をブログに載せてみたり、身の回りの出来事をだらだらとツイートしたり、音楽ポータルサイトからお気に入りの楽曲を自分のハードディスクやクラウドに保存したり……などという日常が、いつまでも続くとは限らない。不慮の事故や急病、災害で突然この世を去ることもありうる。そうなれば、ブログやアカウントが、持ち主の手で更新される機会は永遠に喪われる。

 秘密にしておきたいデータをPCやクラウドに保存している場合、生前に準備をしていなければ、死後にその希望が全うされないこともある。一方、遺族や相続人にとっては、故人がどんなインターネットアカウントを取得して、どんなサービスを利用していたのか把握できなければ、不安この上ない。故人が家族に隠れて行っていたオンライン取引が承継され、大変な損失をもたらすこともありうる。また、ようやく故人のアカウントやファイルにアクセスができたとしても、そこから本人が文字通り「墓場まで持っていく」つもりであった秘密を知る羽目に陥ることもある。こうして、「デジタル遺品」の処遇は、時には相続人や遺族の間で激しい対立の火種になるかもしれない。

 PCやオンライン環境が、私たちの日常生活の不可欠な構成要素となってから十余年。こういった「デジタル遺品」問題は、 近時頻繁に話題に上りつつあり(※1)、海外では裁判例も見られるようになっている(※2)。デジタル遺品は、オンライン取引、仕事用のメールやExcelのデータから、ごく私的なファイルに至るまで、またその記録媒体も、Webページからクラウド、ハードディスクに至るまで極めて多様だ。それに応じて、生じる法律関係についてもまた多様だ。相続法を中心に、著作権法、人格権論、不正アクセス禁止など、多様な各法領域の交錯問題となる。

 著作権法に関して考えられる問題点には、どのようなものがあるだろうか。まず、SNS、クラウドに保存されている写真や動画やブログ記事などの多くは、故人自身の著作物や実演等に該当するものが含まれる。著作権は相続の対象となり、また、著作者人格権は著作者の死亡により消滅するがその死後も著作者の意を害すると認められる行為が禁止される(著作権法59条、60条)。この点、著作物の破壊や抹消は、著作者人格権侵害に該当しないとされるので、少なくとも遺族や相続人によるサイトやアカウントからのデータの抹消については、問題になることはないであろう。

 実際のところ、故人のアカウントの扱いについて各社が定める利用条件を見てみると、アカウント抹消が原則的であるようだが、それ以外にも様々なオプションが用意されているようだ。

  • Facebookでは、利用者は事前に、「アカウントの完全消去」か「追悼アカウント」への変更を指定しておくことができ、家族や友人の申請に基づいて「消去」されるか、「追悼アカウント」に変更される。「追悼アカウント」では、以前はコンテンツの改変はできないとされていたが、さらに、2015年5月からは、故人が生前に「追悼アカウント管理人」を指名しておくと、その者はプロフィール写真やトップに表示されるメッセージなど一部分の変更が可能となっている(※3)。
  • Googleでは、「アカウント無効化管理ツール」により、生前に信頼できる人物を定めておけば、その後、指定した一定期間アカウントが利用されない状態が続いた場合に、その者にメッセージが送られ、メールやドライブなど、事前に指定されたデータへのアクセスとアカウントの削除が認められる(※4)。
  • Yahoo!Japanでは、生前に設定しておけば、公的証明書による死亡確認により「プロフィールページ」が「メモリアルスペース」に変更され、指定した者にそれぞれ個別のメッセージが送られ、クラウドに保存されているデータが削除される(※5)。

 こうした取扱いの違いをみると、将来どのように自分の軌跡を残したいのかによって、それに見合った利用条件を備えているサービスを選択するという「終活」が求められているように思われる。

 次に、故人がKindleやiTunesなどでダウンロードした他人の著作物の利用許諾はどのように扱われるだろうか? KindleやAppleの利用条件は、ダウンロードしたコンテンツに対する権利は「譲渡不能」とするのみで、相続については明示していないようだ。しかし、他のサービスでは、死亡確認により、アカウント利用者の権利が消滅することまで明示する利用条件もある。確かに、著作物利用(再)許諾において時間的制約を付すことは可能である(著作権法63条2項) にしても、電子書籍などの利用条件において、オプションでなく画一的に死亡を条件とする権利消滅までをも定める(あるいは、「譲渡不能」という文言に相続不能も含めて解釈する)条項は果たして望ましいといえるだろうか?

 そもそも、故人が蒐集した蔵書やLP・CDのコレクションは、疑いなく相続の対象とされてきただろう(また、それらは故人自身の作ではないにしても、故人を偲ぶよすがとなってきただろう)。それがデジタルに置き換わったところで、やはり承継されるべき、という考え方もありうるだろう。この点について、海外においても未だ裁判例はないようであるが、例えばドイツ法などでは、近時取り沙汰されているデジタル消尽問題とも関連して議論が展開されており、画一的な約款としての利用許諾に「死亡による消滅」のような条件を設けることは、相続法の包括承継と、著作権法の消尽原則という2つの法規の基本思想に照らし、民法の約款規制における不当条項(わが国では消費者契約法10条に相当)に該当する可能性があると指摘する見解もあるようだ(※6)。

 ひとまず、デジタル遺品問題には即効の万能薬はなく、遺言のほか、各サービスが提供する利用条件を踏まえた適切な保存場所・保存方法の選択なども含め、事前準備が肝要というしかないようである。

(※1)NHK「おはよう日本」2015年5月26日「どうする? デジタル遺品」
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/05/0526.html
萩原栄幸『「デジタル遺品」が危ないーそのパソコン遺して逝けますか?』(ポプラ社、2015年10月)など参照。

(※2)主に遺族や相続人がアカウントへのアクセスを求める事例であり、米国では、 Ellsworth v. Yahoo (In Re Ellsworth, No. 2005-296, 651-DE, Mich.Prob.Ct.2005)),
Facebook Discovery Case, 923 F. Supp. 2d 1204 (N.D. Cal. 2012) などがある。ドイツでは、ベルリン地裁2015年12月17日判決 O 172/15がある。

(※3)追悼アカウント管理人を指定できる機能が日本でも利用可能にhttp://ja.newsroom.fb.com/news/2015/05/adding-a-legacy-contact/

(※4)アカウント無効化管理ツールについてhttps://support.google.com/accounts/answer/3036546?hl=ja

(※5)Yahoo! エンディング https://ending.yahoo.co.jp/

(※6) Gloser: „Digitale Erblasser“ und „digitale Vorsorgefälle“ – Herausforderungen der Online-Welt in der notariellen Praxis – Teil I, MittBayNot 2016, 12

(RC 志賀 典之)

2016年1月 「雑感――営業秘密の秘密管理性をめぐって」 (知的財産法制研究所 招聘研究員 結城 哲彦)

「雑感――営業秘密の秘密管理性をめぐって」

 2012年4月に提起された新日鐵住金(当時新日鐵)・韓国POSCO社間の営業秘密の不正取得・使用をめぐる争い、及び2014年3月に提起された東芝・韓国SFハイニックス社間の営業秘密の不正取得・使用をめぐる争いは、ともに本格的な営業秘密にかかる事件として世間の注目を集めていたが、前者については2015年9月30日付で韓国企業が300億円を、後者については2014年12月13日付で韓国企業が330億円を、それぞれ支払うことで和解が成立し幕を閉じた。営業秘密の研究者としての末席を汚している者としては、事件に関する公開の資料を入手することが事実上困難となり、正直なところいささか残念な気持ちに見舞われている。しかし、2016年1月1日から施行されることとなった不正競争防止法の改正(特に5条の2の新設と、罰則の大幅引き上げ)は、この二つの事件が直接の引き金となって行われたものである (日経新聞2014年5月20日朝刊参照)。また、実務の指針である「営業秘密の管理指針」(経済産業省策定)も2015年1月に改訂され、秘密管理性に関するガイドラインの垣根も低いものに改められた。鉄壁な秘密管理を求めることは現実的でない、というのがその理由である。
 営業秘密制度の法改正に関する評価は別に機会に試みることにして、今回は常に営業秘密の中心的な論点となる秘密管理性について、思いつくまま少し触れてみることにしたい。

 わが国の場合、「秘密として管理されている技術上又は営業上の有用な情報で非公知のもの」が営業秘密であると定義され(不正競争防止法2条6項)、同時に、その定義による営業秘密がそのまま法的保護の対象となる営業秘密であるとする一段階の方式が採られている。このことを最初に指摘しなければならない。言い換えれば、秘密管理性という要素によって、営業秘密の概念要件と保護要件が一体化されている。したがって、原告が、秘密管理性の存在を立証できなければ、そもそも営業秘密が最初から存在しないこととなり、法的保護の対象となる営業秘密の有無について審理が行われることなく、訴訟は原告敗訴で終了することになる。これがわが国の基本的な枠組みである。
 これに対して、米国や中国の場合は、関係の規定(米国の場合:連邦統一営業秘密モデル法第1条(4)、中国の場合:不正当競争法10条3項)を見れば明らかなように、最初に、営業秘密とは何かという概念を明確に定義し、次に、営業秘密の概念に該当する情報のうち保護対象となる営業秘密を明らかにするというように、二段階の方式で営業秘密が法制度化されている。言い換えれば、秘密管理性の有無とはいったん切り離して営業秘密に該当するか否かを原告の立証に基づいて最初に判断し、その後に、その営業秘密のうちから、原告及び被告の主張その他の要素を総合考量して、裁判所が秘密管理性のある営業秘密を認定し、法的保護の対象を確定する二段階のプロセスが採られている。つまり、営業秘密の概念要件と保護要件は峻別され、秘密管理性はもっぱら保護要件の構成要素として位置づけられているのである。

 第二に、秘密管理性という要件を満たさなければ、最終的に営業秘密としての法的保護は得られない。したがって、この点から判断する限り、日米中の定義は同じように見える。しかし、実は大きな違いがある。すなわち、保有者の秘密管理とその措置が必ずしも十分でないため情報の漏洩や侵害という事実が発生しているにもかかわらず、「秘密管理に落ち度はなかった」という立証を全面的に原告である保有者に求めるというのがわが国の制度である。このことは、原告に最初からハンディキャップを負わせるに等しく、そもそも無理があるように思われる。また、秘密管理性の解釈や立証責任の負担に関する運用次第では、有用性と非公知性を具備した秘密情報で法的保護に値するものを入り口で切り捨ててしまう危険性がないとは言い切れない。わが国における原告の勝訴率が20~25%と低いのは、立証責任の負担が原告に重くのしかかっていることに影響を受けているのではないか。このような懸念や疑問がどうしても払拭できない。これに比して、米国や中国の場合には、このような問題が発生する構造にはなっていない。秘密管理に関する立証の程度や負担については、裁判所に裁量権が与えられた柔軟構造の制度設計になっているからである。
 わが国の先行研究は、営業秘密の定義にかかるこのような歪みについてはほとんど論じていない。理由は不詳である。

 第三に、裁判所の姿勢であるが、判例は、早くから秘密管理性について、①その情報を秘密であると認識できる措置が講じられていること、②その情報へのアクセス制限がなされている、の二つの基準を示している(東京地判平成12・9・28「医療器具顧客名簿事件」判例時報1764号(2002)104頁)。この基準は、営業秘密の存在を外部者が認識できる状態にあるか否かで判断することを明らかにしているので、概念要件との関係では整合性が取れている。しかし、保護要件との関係では、主観的な要素を排除する趣旨に解釈できる。少なくともその余地があり、裁判例がいわゆる厳格説と緩和説の間で揺れる原因の一つになっているように思われる。また、この基準は、概念要件と保護要件を区別せずに、秘密管理性を第一要件として判断する運用の根拠にもなっており、その運用を誤ると、有用性と非公知性を有する秘密情報を審理もせずに切り捨ててしまうことにもなりかねない。

 現実の事案を見ると、ほとんどの場合、第一段階で秘密管理性の有無が審理され、この要件を満たしていない情報は、「その余の要件は判断するまでもなく・・・」として退けられている。この手順は、適法ではあるが適正ではないと考える。秘密管理性の解釈・運用次第では、有用性や非公知性のある情報で営業秘密として保護されてしかるべき事案を入り口で切り捨ててしまう危険性を除去できないからである。
 営業秘密の要件を審査する順番は法定されていないが、国際的な比較から見ても、秘密管理性最優先の審理の順番は改めるべきだと考える。このことを、この機会に指摘しておきたい。
 この主張に対しては、「最終的に否認するのであれば、回り道などせず秘密管理性が第一要件であっても一向に差し支えない」という反論がたちまち聞こえてきそうである。しかし、訴訟の場合、その結論に至った過程も、結論に劣らず重要である。訴訟の在り方として、いたずらに経済性や効率に走ることが果たして妥当であろうか。また、現実に、第一段階で有効性や非公知性を審理してその要件の具備を認めた後、第二段階として秘密管理性について審理し、最終的に営業秘密の存在を否定している事案が実在していることも忘れてはならない(過去にも実在しているが、最近の事例を挙げれば、大阪地判平成22・10・21「不正競争行為差止等請求事件、LEX/DB25442811」)。                   

 結論として、現行の営業秘密の定義における秘密管理性をもっとも矛盾なく解釈・運用する道は、次のようになるのではないか。
 すなわち、第一段階として、営業秘密に相当する情報が存在するか否かという概念要件を、当該情報の保有者の秘密保持意思の表明、有用性及び非公知性に基づいて判断する。この段階で、要件を満たしていない情報は、言うまでもなく営業秘密という法的制度の対象外である。
 第二段階の審理では、第一段階をパスした事案を対象に、当該事案が法的保護に値するか否かを判断する。保護要件の有無すなわち法的保護の必要性の有無は、情報の保有者のためだけではなく、公益や取引の安全性とも深く関係があるので、当該情報に接した者の認識(主観的な要素)はもとより、保有者が実施している秘密管理のための施策の状況、企業規模、業種、情報の性質などの諸事情を総合的に考量して判断する必要がある。
 すでに述べたように、上記のような手順で判断している案件も、少数であるが実在する。これが本来の在り方だと考える。

(知的財産法制研究所 招聘研究員 結城 哲彦)

2015年11月 「日本技術移転ヘルプデスク」 (知的財産法制研究所 招聘研究員 エスコフィエ ルカ)

「日本技術移転ヘルプデスク」

 知的財産法制研究所の招聘研究員として、また起業家として、特許ライセンスや技術移転を研究してきた私は、現在、日欧産業協力センター(EU-Japan Centre for Industrial Cooperation)の「日本技術移転ヘルプデスク(Japan Technology Transfer Helpdesk)」の立上げに、プロジェクトマネージャーとして携わっている。
 日欧産業協力センターは、日欧間の産業協力を深めていくべきという経済産業省と欧州委員会の共通の認識のもとで、日本・EU間の産業協力を担う中核的組織として1987年に設立された。東京とブラッセルに事務所があり、受入研修事業(HRTP)、日・EUビジネス・ラウンドテーブルなどの数多くの事業を実施するなど、日欧間の産業協力の中核となっている。
この度、日欧産業協力センターで立上げる「日本技術移転ヘルプデスク」は、優れた技術を保有する日本の公的研究機関や大学と、日本の技術を求める欧州の企業とをつなぐゲートウェイを確立する国際的規模のユニークなプロジェクトである。
 「日本技術移転ヘルプデスク」は、日本の大学や研究センターが保有している利用可能な技術をショーケース化し、欧州企業がこれを検索してライセンスを受けられるようにするオンラインポータルとして機能する。ヘルプデスクは、①技術のショーケース、②特許事務所/法律事務所のデータベース、③知的財産および技術移転に関するセミナーやウェビナーの団体、④日本の大学や研究センターからの技術ライセンスや連携に関心のある欧州中小企業のための支援、のサービスから構成される。サービスは無料であり、セミナーなど一部サービスはオフラインでも提供される予定である。
 9月から欧州の中小企業向けにアンケートを実施し、希望する技術を調査しており、これから日本側が保有している技術を揃えていく。すでに日本の著名な特許事務所/法律事務所が参加を決定しており、外国企業や個人が技術ライセンスを受けられるように、また日本の研究機関や大学がライセンスできるようにサポートする予定である。
2015年12月には、事前モニター(大学、研究センター、法律事務所など)を対象に、ウェブサイトの正式開始前のα版をリリースする。2015年1月には、「日本技術移転ヘルプデスク」が正式に始まる予定なので、たくさんのご声援をお願いしたい。

(知的財産法制研究所 招聘研究員 エスコフィエ ルカ)

2015年10月 「法務部員になった私の心得」 (RC 石 飛)

「法務部員になった私の心得」

 後数か月、また卒業の時期を迎える。今までと全く異なる社会に入るため、社会人になろうとする皆さんは、きっと不安であろう。私は、2013年4月に27年間の学生生活を卒業して、電機メーカーに就職し、法務部員として働き出した。この仕事を行い、もはや2年半を経ったが、振り返ってみたら、収穫が大きい。そこで、ぜひこの場を借りて、卒業を迎える皆さんに、私の心得を簡単にシェアさせていただきたい。

 まずは、実務と学問研究との間には、高い共通性があることをご理解していただきたい。私は、入社した当初、33歳という歳の割に、それまでにずっと学校で勉強していて実務経験が殆んどなかったため、本当に仕事がうまくやっていけるかと不安を抱えて、夜に眠れない日々が続いた。ところで、仕事をやっていくと、意外に早く仕事を馴染むことができたと思う。これは、上司や先輩たちのご指導のお蔭でもあるが、長年学校での勉強を通じて磨いた能力とも関係があると考えている。
 私の仕事内容は、主に契約書の作成・審査、トラブル案件の対応及びプロジェクトに関する法務サポートといった企業法務業務である。この仕事を従事する以上、自社のリスクの最小限、利益の最大化を図らなければならないので、かかる問題に関する法律条文や判例を正確に理解する必要がある。そのために、参考書、判例評釈等の法文献を収集したり、集まってきた法文献を整理して、法律の趣旨や判例の射程を分析したりするという作業が必要である。この過程は、学校で論文又はレポートを着手する前の作業と同じであろう。
 そのうえ、当該分析の結果に基づき、かかる問題の対策を立案する。このときに、自分の案が妥当であることについて、社内関係者及び契約交渉の相手に納得してもらうために、論理的な思考に基づく説得力が必要である。その説明内容は、論文の論証過程を彷彿させる。
 なお、上記の能力は、おそらく法務の仕事だけではなく、他の仕事にとっても同様に重要であると思う。ぜひ在学中の皆さんは、卒業を待たずに、今のうちに指導教授の下でしっかり訓練を受けて、そのような能力を身に着けるように意識していただきたい。

 次に、実務家にも学者精神が必要であることをご認識していただきたい。自分の指導教授の姿を見ると、分かると思うが、「学者」たちは、常に幅広く関心を持ち、色々な問題について論理的に深く思考を行っている。実は、サラーリマンにも、プロフェッショナルとアマチュアに分類できるが、プロのサラ―リマンは、学者と同様に、常に勉強に熱心で、自分が担当している分野の知識を積極的に研究している。彼らはその分野の専門家であり、会社を支えている。そのような方たちは、学者と同様に尊敬されるべきだと思う。
 したがって、勉強は、学校を卒業したら終わるものではない。どんな仕事をやろうとしても、学者精神が必要である。皆さんは、在学中の時間を利用して、自分の指導教授に学者精神を見習っておいた方がよいと考える。

 最後には、プラス思考という習慣を身に着けることを勧める。私が、入社研修の時に、初めて「プラス思考」という言葉を聞いた。すなわち、物事を肯定的な方向に捉えるという考え方である。例えば、ある発表を行ったところ、上司に怒られ、色々なご指導された。この時に、「私また失敗した」、「何でいつも私を怒るか」と考えてはいけない。このようなことがあったら、「上司の怒りや指摘は自分を育つためだ」と考えた方が良い。もっとも、期待もしない人に対して、上司が怒らないであろう。
 他方、マイナス思考をしてしまうと、人間関係にも健康にも問題が生じるおそれがある。私が、入社後に、入社研修で教われた「プラス思考」は如何に大切なものであるかをよく理解できたので、ここで皆さんに共有したいと思う。

 上記、沢山述べたが、実は、私は、「学者」型のサラーリマンを目指して就業中である。これから、ぜひ皆さんと一緒に頑張っていきたい。
 さて、来週は、担当しているプロジェクトのために、日本会社法を勉強しなければならないし、中国でのトラブル案件のために、関係資料を収集・分析して、法務意見を述べなければならないので、また充実な一週間になりそうだ。今回も上司に怒られず、褒めていただきたいな。

(RC 石 飛)

2015年9月 「土曜日の楽しみ」 (札幌高裁判事 岡本 岳)

「土曜日の楽しみ」

 3年前
 ある土曜日の昼前。湯島4丁目のバス停から小滝橋車庫前行の都バスに乗る。約30分乗車すると早稲田バス停に到着する。まずは昼食である。都電早稲田停留場前の寿司屋で評判のランチ鉄火丼をいただく。ここの女将は陽気なフィリピン親善大使で,夫は築地で魚屋を営み,鮪の仕入れが自慢だ。いつものとおり美味しくいただく。RCLIPのセミナー開始まで時間があるので,裏道に入ってJAZZ喫茶に移動する。JBL4331BからSOLO MONKが演奏される。DINAHを聴きながらコーヒーで暫し寛ぐ。
 小野記念講堂に移動する。今回のセミナーは盛りだくさんの豪華プログラムで,広い会場も聴衆で一杯である。今日もT先生が登壇される。彼女の今回のアリアはどんなだろうか。フロアとの掛け合いも楽しみだ。内外の名立たる学者,実務家が次々に登壇する。5時間の長丁場であったが,どの報告も充実し,本当に短く感じる密度の濃い時間であった。イル・デ・パンの懇親会でも熱い会話を楽しめた。
 地下鉄早稲田駅から帰路に着く。心地よい疲労を感じるが,楽しく充実した土曜日であった。

 今
 シルバーウィーク初日の土曜日。南7条西25丁目のバス停から大通西4丁目行のJRバスに乗る。狸小路市場の寿司屋で人気のランチ海鮮丼をいただき,満足。大通から北海道大学に移動する。正門から入り,サクシュコトニ川を渡り,図書館を過ぎるとクラーク博士がいらっしゃる。博士にちょっとご挨拶して北に向かうと法学部である。緑の美しいキャンパスは既に紅葉が始まっている。いつものW409教室に向かう。今日の知的財産法研究会はラーデマッハ先生による欧州における標準必須特許についての報告である。iPadにレジュメをセットする。4時間に及ぶ報告と質疑応答は圧巻であった。研究会場を後にし,夜は久しぶりに北大の友人夫婦と家族を交えてイタリアンのディナーである。美味しいワインを飲みながら大いに盛り上がる。
 今日も楽しく充実した土曜日であった。
 私の土曜日の楽しみはこれからも続く。

(一部フィクションです)

(札幌高裁判事 岡本 岳)

2015年8月 「知的財産法,産業政策そして国際競争力」 (RC 中山 一郎)

「知的財産法,産業政策そして国際競争力」

 知的財産基本法4条は,「知的財産の創造,保護及び活用に関する施策の推進は……我が国産業の国際競争力の強化……に寄与するものとなることを旨として,行われなければならない」と定めている。一読して違和感を持たれない読者も多いかもしれないが,筆者はこの条文に違和感を覚えてきた。以下,その理由を説明しよう1

 最初に述べておくと,筆者は,特許法の産業政策的性格については異論がない。それは,単に特許法の目的が「産業の発達」(特許法1条)であるからに止まらない。むしろ,重要なのは「産業政策」の意味である。

 産業政策とは何か。経済産業省(旧通商産業省を含む)が実施する政策のことであると言われることもあるが,これでは産業政策が何たるかはわからない。そこで,経済学における産業政策の定義を参照してみよう。それによると,規範的にみてあるべき「産業政策」とは,「競争的な市場機構の持つ欠陥-市場の失敗-のために,自由競争によっては資源配分あるいは所得分配上なんらかの問題が発生するときに,当該経済の厚生水準を高めようとする政策である。しかもそのような政策目的を,産業ないし部門間の資源配分または個別産業の産業組織に介入することによって達成しようとする政策の総体」2である。

 つまり,産業政策が正当化されるのは,市場の失敗が存在する場合である。そしてその場合に,産業部門の資源配分に影響を与える政策手段―伝統的には,予算・税(税制上の優遇措置)・財政投融資―により,より望ましい資源配分の実現を目指す政策が適切な産業政策である。もっとも,政府の介入が社会的に見て真に望ましい資源配分を実現するとは限らないし,ある政策が市場の失敗とは無関係に単にロビイングの成果に過ぎないといったことも生じ得る(政府の失敗)3

 これに対して,国際競争力4が低いことは,市場の失敗の存在とは関係がない5。国際競争力の低下が市場競争の結果ならば,市場は機能しているのであって,国際競争力は競争を通じてしか強化されない。であれば,本来,政府の出る幕はない(はずだが,現実は必ずしもそうではない……)。

 それどころか,ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンは,国際競争力という名目で立案される政策が保護主義を招きかねない危険性すら指摘している6。ラフな表現を使うなら,国際競争力強化を掲げた産業政策は「胡散臭い」のである。

 さて,話を特許法に戻して,まず,特許法の産業政策的性格を確認しておこう。周知のとおり,無体物である発明は,消費の非競合性と非排除生という公共財的性質を有している。そのため,法的保護がなければフリーライドが生じ,民間の研究開発投資が過小になってしまう(市場の失敗)。そこで,そのような市場の失敗を解決するために発明者に排他権を付与して創作活動へのインセンティブを与え,産業界の資源配分に介入する政策が特許法であるということができるだろう7

 問題は,国際競争力強化を旗印にする知財政策である。先に国際競争力の名の下の政策が保護主義につながりかねないというクルーグマンの懸念を紹介したが,知財分野でもその懸念は杞憂ではない。以下,具体例を一つ紹介しておこう。

 それは,大学等で生まれた発明を技術移転する際の制約である。文部科学省の審議会によれば,「大学等は,その研究開発の成果について,……我が国の国際競争力の維持に支障を及ぼすこととなる技術流出の防止に努める必要がある。」8。そもそも大学等が国際競争力への影響を判断できるのかという疑問はさておき,大学発明の移転先は,基本的に市場に委ねるべきである。重視されるべきは,大学発明の実用化に適しているのはどの主体かという点であり,当該主体が国内企業か外国企業かは,発明の実用化とは関係がない。

 実は,大学発明の利用率は極めて低い。2013年度時点で見ると,全企業平均の特許利用率が約52.0%であるのに対して,大学・TLOの利用率は約20.9%と,全産業平均の半分以下に過ぎない9。そもそも大学が特許を取得する意義は,ライセンス等を通じて技術移転を促進することにあると考えられるのであるから,大学等における利用率の低さは,特許出願自体が自己目的化している,あるいは,出願段階の見極めが不十分である可能性を示唆している10。とすれば,むしろ利用率の低さこそが問題であるにもかかわらず,外国企業へのライセンス等を制限しようとすることは,本末転倒である。国際競争力の旗印の陰に保護主義的な発想が見え隠れする好例といえよう11

 その他にも,例えば,著作権の存続期間の延長に反対する議論(この立場自身は筆者も賛成である。)において,著作権料の収支が赤字12であることがその理由として挙げられることがある。この議論は,実は危険である。というのも,この議論は,裏を返せば,著作権料収支が黒字なら存続期間を延長してもよいことを認めることになるからである。そして,さらにいえば,例えば,著作権料収支が黒字と思われるセクター(例えば,アニメ?)についてのみ存続期間を延長する,といった議論にまでつながりかねない。ここでの問題は,著作権法を著作権料収支改善のツールと見ている重商主義的発想にある。

 以上のとおり,国際競争力の「胡散臭さ」-その背後に保護主義的あるいは重商主義的発想が隠れているかもしれない危険性-は,知財分野でも決して無縁ではない,というのが筆者の懸念である。これ以上その懸念が現実のものとならないことを願いたい。

  1. より詳細は,拙稿「知的財産政策と新たな政策形成プロセス」知的財産法政策学研究46号(2015年)64~66頁及び拙稿「特許制度の基礎理論の研究:経済効果の検証と制度設計上の留意点」知的財産研究所「知的財産に関する日中共同研究報告書」(平成27年3月)96~98頁を参照。
  2. 伊藤元重ほか『産業政策の経済分析』(東京大学出版会,1988年)8頁。
  3. そのような批判もあり,産業政策は,世界的にはもちろん,我が国でもその影が薄くなっていたが,2008年のリーマンショック後の世界的経済危機を契機に,世界的に再び脚光を浴びているようである。しかし,そのような潮流を肯定的に捉えていると思われる経済学者であっても,やはり政府の失敗の危険性を指摘している。以上の点につき,大橋弘「産業政策を問う㊦」日本経済新聞2013年4月2日28面,同「戦後70年産業政策の変遷㊦」日本経済新聞2015年7月16日31面,岡崎哲二「産業政策を問う㊤」日本経済新聞2013年4月1日17面参照。
    私見をいえば,市場への政府介入の是非は,結局のところ,市場の失敗と政府の失敗のどちらがましか(less worth)という問題に帰着する。これは,悩ましい問題だが,筆者自身の行政官経験から一つ言えることは,市場は失敗しても言い訳しないが,政府は失敗を認めない(あるいは言い訳する)ということである。
  4. そもそも「国際競争力」という語は,頻繁に使われるものの,その内容が実は曖昧であることは,国際競争力の旗を掲げる政府自身が認めるところである。内閣府「平成25年度年次経済財政報告」(平成25年7月)159頁。
  5. 小宮隆太郎『日本の産業政策』(東京大学出版会,1984年)6頁。
  6. ポール・クルーグマン「競争力という危険な幻想」同(山岡洋一訳)『クルーグマンの良い経済学悪い経済学』(日本経済新聞社,1997年)18頁。
  7. もっとも,実証的に見ると,特許制度の全般的な経済効果は必ずしも明確ではない。拙稿・前掲注(1)91~95頁参照。
  8. 科学技術・学術審議会産業連携・地域支援部会大学等知財検討作業部会「イノベーション創出に向けた大学等の知的財産の活用方策」(平成26年3月5日)9頁。これは,研究開発力強化法41条1項が同旨を定めていることを受けたものである。なお,同様の制約は,日本版バイ・ドール制度と呼ばれる産業技術力強化法19条の下で,国等の委託・請負による研究開発成果の知的財産権が帰属することとなった受託者・請負者が当該知的財産権を移転等する場合の国の事前承認の際にも課せられている。経済産業省産業技術政策課成果普及・連携推進室「経済産業省における日本版バイ・ドール制度の事前承認制の適用について」知財ぷりずむ9巻97号(2010年)75頁。
  9. 特許庁「平成26年知的財産活動調査結果の概要」10頁。
  10. 拙稿「大学特許の意義の再検討と研究コモンズ」知的財産研究所編『特許の経営・経済分析』(雄松堂,2007年)301頁。
  11. 大学には税金が投入されているから,技術移転先として国内企業が優先されて然るべきとの議論があるかもしれない。しかし,そもそも大学発明は5件に1件程度しか利用されていないのであって,国内企業優先などという前に,利用率を上げるのが本筋ではないか。国内企業が目を向けない大学発明を外国企業が実用化したとすれば,それは単に目利き能力の差に過ぎない。また,その場合には大学はライセンス料を得るので,発明が未利用の状態よりは,よほど納税者の利益に適う(その金額分の税金投入が節約できる。)。
  12. 2014年度は,約7500億円の赤字である(日本銀行,国際収支,時系列データ検索サイト)。

(RC 中山 一郎)

2015年7月 「極端な著作権等侵害の事例」 (RC 富岡 英次)

「極端な著作権等侵害の事例」

 安倍首相が、集団自衛権に関する安保法案についての説明に、複数の紙の家の模型を使用し、「現在の法律では、日本は米国の火事の消火を手伝えない。」と述べ、米国旗の描かれた紙の家の上に炎の模型を置くなどしたことについて、野党議員が、「説明としては極めてとんちんかんだし稚拙」、「国民を馬鹿にしている」、「いささかミスリーディング」、「逆効果」等と批判をしているところが、テレビで報道されていた。確かに、私は、首相の説明に呆れたが、野党議員の批判についても、どのような意味において「とんちんかんで稚拙」であり、あるいは「ミスリーディング」であるのか、言及がないため、単なる感想に過ぎず、説得力がない、と感じられた。しかるべき野党議員が、その理由を述べていないはずがない(と信じたい)から、これを割愛して結論部分のみを放送したとすれば、その報道の方法に問題があろう。
 確かに、直感的には、安保法案を論ずるのにはお粗末な例えであるし、国民を馬鹿にしているように多くの人が感ずることは容易に推測できるが、「子供だましの例え」と片付けるだけで、正当な批判にはなりえないだろう。例えば、上記のような例えは、朝鮮半島や満州等への日本の干渉の歴史が、「日本の隣国に対する他の大国による侵略、干渉に対する救済」の名目で行われてきた歴史を想起させ、一見、理解しやすいが、欺瞞的となりかねないこと等、過去の歴史との対比等によって検討すべきである。ところが、実際にこれを論理的に説明してゆこうとすると、より本格的な反対説も出てきて、大体の場合、そう簡単でない。何でも、きちんとした説明を簡潔に行うことはむずかしい。
 話しは少し違うが、文藝関係の著作権に関するトラブルを扱っていると、かなり極端な違法行為に遭遇することがある。一見、その違法性については、詳しい法的構成を論ずるまでもない、と思えるが、実際にその構成を試みると、意外に問題点を感ずることがある
 そんな事例を2件ばかり紹介してみよう。
 1件目は、いわゆる「著名作家」Aの書いた文書が、別の作家Bの書いた文書の複数の部分をそれぞれ、かなりの行数にわたり、ほとんどそのまま使用(複製)して書かれていたというもので、被害にあった作家Bが、驚いて、これを指摘したところ、当該著名作家Aがやってきて、「ゴーストライターCが勝手に借用して書いたもので、自分は全く知らなかったんだから」、重大な責任はないかのようなことを強く言われた、というものである。
 2件目は、著名なアーティストPが死亡して、ある雑誌Dがその追悼特集を企画し、その中で、Pを知る作家Q、R等の有名人による追悼文が掲載されていたが、実は、Q、R等は、当該追悼文を書いた覚えがなく、全く知らなかった、という。調査してみると、当該雑誌Dの担当記者Eが、時間がないため、以前、別の雑誌に掲載された当該有名人のPについて当該有名人Q、Rが述べた文章を継ぎ合せ、あるいは、記者EがアーティストPに関してQ、R等から取材した際のメモに基いて、この人なら、こういうことを言うはずだ、という全くの推測で、追悼文をそれぞれ作った、ということが判明した。雑誌社Dは、勿論非を認めたが、その謝罪が、上記記事は「未許諾および不適切な引用」であった、というものであったため、問題が大きくなった。
 両案件とも、呆れて口が塞がらないもの、「愚かな」の一言で終わるようなものであるが、これをどのような法的根拠に基づいて、どのような請求が可能であるか、考え始めると、意外に、おや、と思うところもある。
 第1件目については、誰もが、Aが法的責任を取るべきことに疑いがないと直感するであろう。
 そこで、その法的構成を考え始めると、知的財産権に関わるものとしては、まず、著作権法上の責任を考えるであろう。
 そうすると、ゴーストライターCが実際にBの文書を複製してA名義の文書を作成した張本人であり、他方、著名な作家Aの方は、自己の手足として、ゴーストライターを使用したものであるが、他人であるBの著作物に依拠してこれを再製するという複製の意思は全く有していない。そうすると、著作権法上、作家Aが法的責任を負うべき根拠は、何か。
 Aが、自己の手足として使用したCに対し、Bあるいは他人の文書を複製使用してA名義の文書を作成することを指示、あるいは示唆も許容もしたことが全くなかった場合にまで、Cがした行為を全てA自身がなした行為であるとみなして、Aに対して複製権侵害の責任を追及することができる、という法律構成は、手足論としては、やや無理があろう。
 著作権法15条の職務著作と考えて、使用者Aを著作者とし、業務に従事する者Cの複製権侵害行為もAがなしたものとすることができるかどうかについては、職務著作の規定の趣旨に関わり、それ自体ひとつの法律問題であるが、そもそもAは法人ではないし、AとCとの関係が、使用者・従業者の関係にあるのか、外部からは不明であり、単なる業務委託の関係にあることも十分予想され、使用者の範囲について厳しく解釈されている同法15条の規定の適用が困難であることが予想される。
 民法715条の使用者責任の規定を適用すれば、「使用」の範囲を職務著作より広く解釈し、Aの使用者責任を主張することは可能である。やはり、使用者性の認定の問題が残ること、使用者Aが、被用者Cの選任及びその作業の監督に相当の注意をしたことを主張、立証したときには責任を免れること、などの問題は残るが、この構成は比較的無理のないものであろう。
 なお、ゴーストライターへの業務委託ということになると、注文者であるAの責任は、民法716条により、原則としてCがその仕事について第三者に加えた損害を賠償する責任を負わないから、民法上、Aの責任を追及することには困難が伴う。
 ところで、そもそもAについては、Bの著作物を含む文書について、Aの氏名表示のみをしているものであるから、Bの氏名表示権(著作権法19条)を侵害するものであること、Bが指摘した時点から、同法113条1項2号のみなし侵害行為に該当することになり、頒布などが許されないものとなること、を主張することは確実にできよう。しかしながら、これらの構成による請求は、Aの行為の違法性を真っ向から捉えたものではないという感を受ける人も多いのではないだろうか。
 2件目の例のうち、記者Eが全くの推測で、追悼文をそれぞれ作ったという事案は、いわゆるなりすましであるが、このような場合に、まず、著作権法上、どのような権利行使が可能かを考えると、それほど容易でない。
 すなわち、著作権法上は、まだ、Q、R等の有名人は、著作物を著作していないのであるから、その複製権や翻案権の侵害は問題とならず、また、著作者人格権も、著作物について著作者に生ずるものであるから、著作をしていないQ、R等について、これらの権利侵害とはならない。有名人の氏名の冒用行為であるから、民法上の人格権としての氏名権、最高裁判決で認められたパブリシティー権の侵害ということで、構成せざるを得ない。
 著作権法上、このような行為を直接規制する行為はないものかと検討すると、罰則を定めた著作権法121条に「著作者名詐称の罪」が非親告罪として規定されており、出版社、記者等に対する脅威にはなる。著作物を基準に権利関係が整備されている現行法においては、上記のような文書のねつ造、なりすましについては、規制する必要は痛感しながらも、罰則に残す以外に方法がなかったのであろう。
 以上のように、著作物に関する、一般的にみて明らかな違法行為と認められる行為であっても、著作権法以外の法規によって救済を図ったり、著作権法の諸規定を工夫して適用を図らなければ、救済できない場合がある。
 これらの法律構成を法律に詳しくない作家や一般人に分かりやすく説明することは、決して容易ではないが、怠ることはできないと考えている。

(RC 富岡 英次)

2015年6月 パブリシティ権、もしくは「人格表示権」? (RC 張 睿暎)

パブリシティ権、もしくは「人格表示権」?

 「パブリシティ権」といえば、2012年の「ピンク・レディーdeダイエット事件上告審(最一小判平24 ・2 ・2 民集66・2・89*1)がまだ記憶に新しいが、最近韓国においてパブリシティ権に関する立法の動きがあるので、以下で紹介する。
 韓国においても日本と同様、パブリシティ権に関する明文規定はないが、人の氏名・肖像等を商業的に利用できる排他的権利であると解されている。芸能・スポーツや広告産業が成長するにつれ、有名人の氏名や肖像を広告に無断利用するなど関連紛争が多発している。
 実務においてはパブリシティ権侵害を理由とする広告モデル料相当の損害賠償がしばし主張されるが、まだ大法院判決はなく、下級審ではパブリシティ権を認定する判決と否定する判決に分かれている。2012.10.9から2014.7.10までに宣告されたパブリシティ権侵害が争われた33件の下級審判決を分析した研究によると、パブリシティ権そのものを認めた判決は16件、否定した判決は17件であり*2、パブリシティ権に対する韓国裁判所の態度は分かれていることがわかる。
 韓国においてはパブリシティ権を立法化しようという試みもあり、今まで何度も議員発議があった。例えば、2005年と2009年に発議された著作権法改正案は、著作権法の中に「肖像財産権」条項を新設してパブリシティ権を財産権として認める内容であったが、どちらも国会の会期満了で廃棄された。2012年に発議された著作権法改正案は、著作者および実演家に限って、肖像や氏名等その特徴的要素が現れているものを著作物に準じて保護する内容の「肖像使用権」導入を提案していた。また2013年に発議された民法一部改正案は不法行為に人格権を明文化し、パブリシティ権を人格権の一種として保護する内容であった。これらの法案は既存の法律にパブリシティ権を追加する形をとっており、その法的性質に関しては、財産権と捉えたり、人格権と捉えたりと、様々な立場であった。
 ところで2015. 1. 13に議員ら22人が共同発議した「人格表示権保護および利用に関する法律案(議案第1913653号*3)」は、パブリシティに関する独立の法律を立法しようというところで、今までの試みと異なるといえる。
 本法案は、「個人の氏名・肖像等の人格表示に関する個人の権利を保護し、その利用に関する事項を規定することで、文化および関連産業の向上発展に寄与する」ことを立法目的とする(案1条)。「人格表示」とは、「個人の氏名・肖像・声とそれに類似するもので、その人の特徴的要素が現れているもの」と定義し、「人格表示権」は「人格表示を商業的に使用できる権利」と定義している(案2条1号、2号)。2人以上で構成された団体の人格表示権は構成員全体の合意により行使するとし(案7条)、保護期間は人格表示権者の死亡後30年で終了し(案8条)、相続や譲渡もできる(案9条、10条)。人格を毀損する利用を制限し(案13条)、時事報道での利用など適用除外(案15条)や公正利用(案16条)規定も設けている。また、損害賠償の請求、損害額の認定、精神的損害賠償など、侵害に対する救済を規定している(案17条~22条)。
 上記法律案は、概ね著作権法の枠組みを借用しながらも、パブリシティ権を「人格表示権」とし、その財産権的性格を明確に宣言したところに特徴がある。ただし、人格の主体から人格表示権を譲り受けた継承人(多くの場合は芸能事務所やマネジメント会社になると考えられる)が、第三者に人格表示権の利用を許諾でき(案11条)、承継人も第三者に侵害差止や損害賠償を請求できる(案17条,18条)としているところは、有名人の人格表示を活用する芸能・スポーツ・広告などの関連産業界のニーズに合わせた法案であると思われる。
 しかし、パブリイティを人格権に根ざす権利であると理解する立場からは、人格主体と不可分の人格表示を第三者にまで流通できるという本法案に反対するとも思われ、またそれ以外にも、法体系整合性や立法技術的な部分で議論される余地が多くある法案であると思われる。
 韓国においてはパブリシティ権の法的性質や侵害判断基等に関して学説がまとまっておらず、裁判例も一貫しないという状況を考えると、このような法律を制定することには慎重になるべきだと思われる。パブリシティ権に関するこれからのさらなる議論や研究が期待されるところである。

(RC 張 睿暎)

*1 本件最高裁判決の評釈等として、田村善之「パブリシティ権侵害の要件論考察―ピンク・レディー事件最高裁判決の意義」法律時報84 巻4 号(2012 年)1 頁以下、内藤篤「『残念な判決』としてのピンク・レディー最高裁判決」NBL976 号(2012 年)1 頁以下、小泉直樹「ピンク・レディー事件上告審」ジュリスト1442 号6 頁以下、上野達弘「パブリシティ権 ―ピンク・レディー事件―」新・判例解説Watch15号(2014年)273頁がある。
*2 イ・ヨンミン「パブリシティ権の保護と制限− 2015知識財産とパブリシティ権討論文」韓国知識財産研究院『2015知識財産政策フォーラム』 (2015.3.10) 1頁
*3 大韓民国政治情報(議案情報)http://pokr.kr/bill/1913653/text

2015年4月 「駄目押し」考 (事務局 結城 命夫)

「駄目押し」考

 薫風香る5月……と言われるが、薫風は夏の季語だそうだ。折しも両国では大相撲5月場所の力士のぼりがひらめいている。ただし、このコラムが載る頃は終わっているかもしれない。
 ところで、相撲の世界では勝ち負けとは別に、振る舞い、品格が重要視されている。その一つが「駄目押し」と言われる行為である。「勝負が既に決まっているにも関わらず、さらに相手を押したり倒したりすること」を駄目押しと言い、この無駄な行為が「品格がない、日本の美学にそぐわない」と批判の的になる。その一方で、勝ったと思って気を抜き、逆転負けを屈すれば「詰めが甘いんだよ!」とこれまた批判の対象となる。力加減のしどころが難しい。
 「駄目押し」を辞書で引くと、「念のためにさらに念をおすこと」とされている。元々、「駄目」という言葉自体が囲碁用語で、どちらの地にもならない空所のことで、念のため、ダメを埋めて地を分かりやすくするために石を置くことを駄目押しと言い、これが転じて既に勝負が決まっている時に、さらに勝負を確実にするために念を押すことを駄目押しというようになったという説明もある。
 一方、同じスポーツでも「駄目押しの3ラン!」の見出しがスポーツ紙を飾れば、これは痛快の褒め言葉となる。スポーツ紙を何紙も買って喜びに浸るファンもいる。勝負を決定的なものにし、とどめを刺すというという点では相撲と同じことだが、一方は批判的に扱われ、一方は痛快劇として扱われる。
 更に自分が歩んだ世界では「ダメ押しを忘れるな!」と厳しく言われている。化学プラントの操業に長らく係わってきたが、安定・安全操業の要諦として「ダメ押し確認」が必須であった。そう思い込んでいた、ついうっかり、という言い訳は通じないので、特に「だ・ら・は」に基づく曖昧判断は厳禁だ。~だろう、~らしい、~のはずだ、の頭をとると「だ・ら・は」になる。これを戒めるには、「念には念を入れて確認せよ」、「もう一歩の詰めを忘れるな」、「処置だけでは駄目だ、歯止めで再発防止までやらなければ」などがスローガンとなる。ダメ押しは言わば必須アイテムとなっている。
 このことは安全を使命とする他の職種でも共通している。例えば電車の運転であれば、運転士は「信号よし」「出発進行~」「制限六〇キロ」などと大きな声を出し、同時に片手を上げて信号や速度計を指さして、前方の安全を確かめている。車掌は身体を乗り出して目と指先でホームの安全を確かめ、「発車ヨーシ」と声を出してからドアを締めている。思い込みや思いちがいのミス、うっかりのミスを防ぐには、頭で考えるだけでなく、五官をフルに活かして、一つひとつダメ押しする慎重さが求められている。「駄目押し」は必須の世界ということだ。
 そうしてみると、一つの言葉でも嫌われる行為、痛快な行為、必須な行為として意味づけが異なって扱われる。
 翻って知的財産の分野では「駄目押し」はどのような位置づけで捉えられるだろうか。「だろう、らしい、はずだ」と言った曖昧さの排除が知的財産侵害のアウト・セーフを決める重要要素ではないかと思う日頃である。

(事務局 結城 命夫)

2015年3月 「知財の巡り合わせ」 (知財研 特別研究員 吉田 悦子)

「知財の巡り合わせ」

 ご縁あって今回のコラムを担当させて頂くことになった。
 さて、今回はご縁というものをテーマにしてみる。RCLIPとのご縁は、2013年の冬、RCLIPと私が所属する大阪大学知的財産センター(以下、IPrism)の共同シンポジウムの初開催で、デュッセルドルフ高裁のトーマス・クーネン判事が来日され、Rademacher先生ともに事務局を担当した。まさかその1年後に東京で研究を行うことになるとは、全く想定していなかった。

 昨春、知的財産研究所の研究者助成を受けることになり、東京に出向くことになった。大阪生まれ大阪育ちの私には、ちょっとした冒険である。そして、ご縁あって高林先生にご指導を頂く機会も得た。そんな巡り合わせから早稲田の精鋭高林ゼミと相見えることになったのである。

 そこには様々なバックグラウンドをもった多様なメンバーで構成され、バラエティーに富んだ魅力的な研究が毎週展開されていた。ふと以前にセレンディピティの講義をうけたことを思い出した。セレンディピティとは、偶然に想定外の発見を見いだす力をいう。偉人の大発明やノーベル賞をとられた研究においても偶然の巡り合わせから生まれたものも少なくないという。しかし、科学の分野だけでなく、これに似た感覚は我々の研究にもあてはまるかもしれない。そんな「気づきの力」を育む環境がこのゼミにはあった。例えば、米国の研究では、一旦米国人になりきって考える。同様に英国人になりきる場合もある。高林先生の豊かなご経験と院生のひらめきが、化学反応を起こしているかのようにも感じ、拝聴している側もなぜかモチベーションが上がってくるのだ。そうして一方方向な考え方を脱却して、その先に何かを見いだした人の生き生きとした発表は、興味深いものであることは言うまでもない。

 この一年間、高林先生ならびに高林ゼミ生の皆様には、門下外であった私を快く受け入れて下さった、厚くお礼を申し上げたい。そして、今後もこのご縁はより深いものとなっていくだろう。東京を後にする最後の締めくくりとして、このコラムへの投稿は、今後につながるパスポートのようにも思うのである。知財の巡り合わせの一つ一つを大事にこれからも研鑽を積んでいきたいと思う。

 早稲田大学RCLIPと大阪大学IPrismの益々の繁栄を願って。

(知財研 特別研究員 吉田 悦子)

2015年2月 「おみくじの言う通り」 (知的財産法制研究所 招聘研究員 小川 明子)

「おみくじの言う通り」

 私は、昨年末RCLIP分室メンバーで行った成田山新勝寺日帰り温泉ツアーにおいて、新勝寺のおみくじでめでたく吉を引いた。前年のツアーでは、凶を引いたのだから、驚くべき進歩である。さて、そこには、「冬が終わり春を迎えるような運勢」だが、「自分の短所を素直に反省することで開運に向かう」と書かれていた。そこで私は反省し今年の目標を立てた。
 一.特許法を勉強する。これは、既に致し方ない状況にある。非常勤とはいえ、大学で知的財産権を教える立場にありながら、好きな著作権のことばかり話していてはいけないことは明らかである。おみくじが当たったのか、今年から産業財産権関連科目も担当することになり、今、汗水たらしてレジュメを作っている。よし、これは、きっと吉だ。
 二.ドイツ語を勉強する。これまで、英語以外は、ラテン系の言葉にしか興味がなかった。学部でドイツ語を第三外国語として取ったものの、前置詞(らしい)「でる・です・でむ・でん」で挫折している。しかし、自分を鼓舞するためにも「今年はドイツ語を頑張ります」などと年賀状に書き散らかして新年を迎えた。現在、毎朝ラジオ講座をベッドで聞きながら、寝言の様にリピートする。「いっひ・れーぜ・ろまーね(I read novelsの意)」肯定文は2番目がいつも動詞だということを理解。「ヴぁす・だんくすと・どぅ(What do you think?)」疑問詞がついても2番目である。「はすと・どぅ・つぁいと(Do you have time?)」疑問文はひっくり返せばいいらしい。語学に近道はない。
 そのような私に、先生方はいつも暖かい手を差し伸べてくださる。高林龍先生が「律儀な改訂重なる信頼」でおなじみの『標準特許法第5版』をお出しになったのは、まさか特許法を勉強していないわけはないねと念を、いや、背中を押してくださっているかのようである。斎藤博先生はドイツ語を本気で勉強するならば、相談にいらっしゃいとまでおっしゃって下さる。勿論「いっひ・れーぜ・ろまーね」の段階では、お時間を取ってくださいなどと言えたものではない。
 本日も、唸りながらレジュメとドイツ語と格闘していると、私の好きな追及権のニュースが飛び込んできた。英国では、追及権の美術品市場への影響に関するレポート *1 が発行され、米国では、提出されていた追及権法案 *2 は、法律にはならなかった。すなわち、2015年1月3日に第113回連邦議会第二セッションの終了に伴い、それまでに大統領が署名に至らなかった法案はすべて暗礁に乗り上げるという。また、カリフォルニア州法追及権条項が合衆国憲法の州際通商条項に抵触するため、無効であるとした裁判の控訴審がen bankとなることから、一審が覆される可能性も出てきている。これは、楽しい。これまでに通商条項に関して出された最高裁判決も、二酸化炭素の規制値 *3 から、ガチョウのフォアグラの販売 *4 まである。そうなるとまた論文を書くのが楽しみになる。
 おみくじの学問のところをみると、「短所を克服できれば見通しは明るい」という。もしや、反省したから楽しいことがでてきたのかもしれない。おみくじは続く。「(素直に反省する)その心を忘れると、かえって不幸となるので、謙虚に信仰を深めること。」
 今年はおみくじの言う通りにしようと思う。

(知的財産法制研究所 招聘研究員 小川 明子)

*1 British Art Market Foundation, British Art Market in 2014
*2 American Royalties, Too act
*3 Rocky Mountain Farmers Union v. Corey (9th cir. 2013)
*4 Association des eleveurs de canards et d’oies du quebec, et al., v. Kamala D. Harris (no. 13-1313, Supreme Court of the US)

2014年12月 「露天風呂のつぶやき」 (RC 蔡 万里)

「露天風呂のつぶやき」

 成田空港付近に温泉があるのをご存じだろうか。あるホテルの中にある温泉施設なのだが、露天風呂も併設されている。例年のごとくRCLIPメンバーとともに、成田山新勝寺に詣でた帰り道、お湯につかっているところである。
 露天風呂の中でふと空を見上げると、中国国際航空の旅客機が飛んで行くところが目に入った。上海からやってきたのか、はたまた北京へと飛んでいくのだろうか。私の思いもこの飛行機とともに中国へと向かい、そして、四年半の留学生活の後、私も中国へ戻る時期が着実に近づいて来ていることに思い至った。中国への懐かしさと自分の行く道に思いを馳せ、お風呂の中で考えた。中国の知財はいったいどうなるのだろうか。
 目を閉じて、ふと頭に浮かんだのは今年中国で大きなニュースとなった知的財産専門裁判所の設立であった。2008年、中国の国家知的財産戦略として「知的財産の民事、行政、刑事案件を統一的に受理する知的財産専門法廷の設立を検討する」方針が打ち出された。そして、その五年後にあたる2013年年末の共産党第十八回三中全会では、知財専門裁判所の設立が正式に発表された。このような検討期間を経て、さらに一年間の生みの苦しみを経た今年の11月に、中国初の知財専門裁判所がようやく北京で誕生した。
 また、今回の知財専門裁判所は北京だけではなく、年内をめどに上海及び広州にも設立される方針である。中国は、年間特許・商標出願や知財訴訟の数だけから見れば、既に米国を超え、世界一の知財大国になったともいうことができる。しかし、知財保護及び知財裁判が未だ発展途上の水準に留まっていることから、「知財大国」でありながら、同時に「知財弱国」でもある。すなわち中国は、今回の専門知財裁判所の設立に伴い、知財保護を強化し、知財裁判の水準を向上させることによって、数の知財大国から質の知財強国へと変えていくことを狙っている。
 現時点では、国が知財強国を目指して大事な一歩を踏み出したことに、中国全体が歓呼しているところである。しかし、冷静になって考えれば、「知財大国」と呼ばれるその「大」の意味することが、年間出願・登録や訴訟の件数にあるにすぎない。では、「大国」の「弱」点は、いったいどこにあるのだろうか。
 極端な意見に見えるかもしれないが、その「弱」点は、「大」そのものの中に存在するように思う。「大」はそもそも悪いものではないが、「大」に対する有効な管理措置を取らないと、「乱」に繋がってしまう。つまり、中国の知財訴訟の問題は、膨大な訴訟事件に対して裁判所の数の問題ではなく、それぞれの訴訟において各裁判所の裁判基準が必ずしも統一的でないことにある。各裁判所の裁判基準が混乱すると、裁判上の予見可能性が低くなり、権利者の利益が保障できず、その結果全国的には知財保護が低水準に止まるといった問題が生じる。
 このような見地から考えてみると、中国知財の「弱」点の改善方法は、その「大」を「一」にすることにあると思う。すなわち、膨「大」な知財訴訟に対する各裁判所の裁判基準を統「一」することである。今回の知財専門裁判所の設立に際しても、現行の地域裁判制度を脱却して、全国の知財控訴事件を統一的に受理できる、唯一の高級規模の知財控訴裁判所が必要なのではないかと思う *1
 残念なことに、今回設立された北京の知財専門裁判所及び年内めどに設立する上海や広州の知財専門裁判所は、いずれも地方に存在する中級規模の裁判所である。三か所の中級規模の専門裁判所の設立が、中国の知財現状をどれぐらい改善できるかという点に疑問は残るものの、中国は、現在全力を挙げて、国の知財保護及び知財訴訟の向上への道を積極的に模索しているところである。まだ道半ばであるかもしれないが、その勢いは、中国の知財強国への脱却という夢は、きっと叶えられるのではないかと感じさせるものがある。
 思ったよりも時間がたったようだ。体も暖まり、そろそろ、ビールを飲むのにいい頃合いである。皆様にとって、2014年が良い年であり、また、2015年も引き続きよりよい年でありますように。

(RC 蔡 万里)

*1 この点につき、今年の6月28日にRCLIP主催の国際知財セミナーでは、中国知財法学会会長、中国人民大学知財法学院院長の劉春田教授は既に、中国の知財専門裁判所の設立は、地方レベルの専門裁判所ではなく、国の高級レベルの専門裁判所を設立すべきであることを指摘した。

2014年11月 「お笑いのネタの保護と自由利用」 (RC 末宗 達行)

「お笑いのネタの保護と自由利用」

 はじめまして、コラムを初めて担当します、法学研究科修士2年の末宗達行です。
 今年も残すところあと一月ほどとなり、年の瀬が近づいてまいりました。今年の年末年始は(泣きながら)必死に修士論文に取り組んでいるのではないかと、一抹の危惧の念を抱いている次第です。
 ところで、年末年始はお家でテレビを見てのんびり過ごされる方も多いのではと思います。年始の番組と言えば、箱根駅伝の中継などありますが、漫才などのお笑い番組もまた多いように思います。特番だからか、通常の番組よりも多くの芸人さんが出てきて、特に若手で最近活躍している(ないしは、活躍しそうな)芸人さんをよく目にします。ここでふと、ある考えが頭をよぎりました。

 「もしある芸人のネタを他の芸人がパクって、それでブレイクした場合、もともとネタを考えた芸人さんは知的財産法で何らかの対処できないのだろうか」

 こうした考えを思いついたのは、僕が初めてではないようでして、ネットでちらと検索しただけでもいくつか見つかります *1 。とはいえ、頭の体操、仮想事例であろう、と思っていたのですが、似たようなことで話題になった事例があったようで、中国国営放送で放送された番組中で中国の人気コメディアンにより演じられたコントがお笑いコンビ「アンジャッシュ」のネタに似ているとして中国の視聴者に指摘されたというものです *2 。ただ、記事をよく見てみると、元ネタが5分のところを12分で演じられていてオリジナルの話が加わっていたり、本人らが真似されて光栄であるなど述べていたり *3 、といった要素があることには注意しなければなりません。
 もう少し調べてみると、英語版のWikipediaに「Joke Theft」の項 *4 があることに気がつきました。それによれば、他人により作られたお笑いのネタを作成者の同意なく演じて、それにより評価を獲得してしまう行為のことのようです *5 (これまでの歴史や事例がかなり載っているようですので、ご興味のある方はぜひご一読ください)。
 また、BBCでも「Who, What, Why: Can a joke be copyrighted?」という記事 *6 があり、テレビタレント(俳優もしているようですが)のキース・チェグウィン(Keith Chegwin)が、Twitterに他人のネタを投稿して自分のものだと詐称したことで非難されたことが紹介され、ソリシターの方の著作権侵害に関してのコメントも載っています。さらに、2004年にコメディアンのジミー・カー(Jimmy Carr)が自分のものと類似したジョークを使用したとして、同じくコメディアンのジム・デイヴィッドソン(Jim Davidson)に対して警告状を送付したことも紹介されています *7
 印象的だったのは、「[Jimmy Carrのギャグ]はくだらないものに聞こえるかもしれないが、しかし、コメディアンは、聴衆を笑わせることで生計を立てており、[ネタの剽窃行為]は全くもって笑いごとではない、と訴えている。 *8 」という一文です(なお、[ ]内は筆者。以下同じ)。近年では、下積み期間が10年になってもおかしくないお笑いの世界で、バイトなどを掛け持ちしながらネタ作りを懸命に行っている芸人さんたちにとっては、ネタをパクられるというのは許し難い行為でしょうし、確かに生計を脅かすことになりかねません
 それでは、今の知的財産法制では、他の芸人さんにお笑いのネタをパクられた場合の保護はどうなるのでしょうか。芸人さんは実演家でしょうから、著作隣接権の中の実演家の権利で保護するのはどうでしょうか。関連しそうなのは、著作権法91条の録音・録画権かと思ったのですが、「実演家の実演そのものを録音・録画する権利であるから, 例えばある歌手の物真似は録音・録画に該当せず, 実演家の隣接権侵害にはならない *9 」とされていますから、難しそうです。
 著作権ではどうでしょうか。言語の著作物は「文章の形をとる必要はなく, 口述でもよ[い] *10 」とされおり、「落語や漫才など口頭で無形的に表現されるものも含まれる *11 」とされています。漫才やコントの場合には、著作権の保護が及ぶ可能性はありそうです。しかし、一発ギャグはどうでしょうか。一発ギャグとはいえ、その長さは、ダンディ坂野さんの「ゲッツ」のように一言のものから、比較的長いものまで、多岐にわたりますが、極めて短い文章の場合にあたりそうですから、創作性が否定されたり、創作性があったとしても類似性の範囲は狭くなったり、ということになりそうです *12
 著作権では保護が難しそうな一発ギャグですが、音の商標として登録が可能かもしれませ *13 。ただ、権利行使の場面で、この場合の商標的使用とは何かが問題になる気がします。
 他には、不正競争防止法2条1項1号での保護の可能性もあるかもしれません(現に、イギリスでは、人格的利益を不競法2条1項1号と類似のPassing offという不法行為類型で一部保護しているようです *14 )。
 でも、色々考えたところで、実際に訴訟は起きていないわけです(もちろん泣き寝入りの場合があるのかもしれませんが)。なぜなのでしょうか。「お互いのネタを盗んではいけないという芸人同士の『紳士協定』 *15 」の存在ゆえかもしれませんし、そもそも芸というのが先人たちの作り上げたものの上に成り立っているという意識ゆえなのかもしれません。歌舞伎の世界ですが、十八代目 中村 勘三郎さんは「古典をしっかり学んで自分の形を作れ。19や20の未熟者が土台もないのに新しいことをやるな、と。私も自分の息子たちには新しい事よりまず古い芝居を稽古して欲しい。『形を持つ人が、形を破るのが型破り。形がないのに破れば形無し』。かつて無着成恭さんがそう言っていました」と述べていま *16
 確かにそうした世界においては、差止や損害賠償といった制裁は強すぎるのかもしれません。芸人同士の紳士協定の存在という側面からは、当該分野における自律的な機能を参酌する必要がありそうですし、また、先人の作り上げたものの上に成り立つとはいいつつも同世代の人の作った芸をパクるのは正当化しがたいところですが、差止といった制裁が強いのであれば報酬を請求するという形もまたありそうな気もします。そうすると、意外にも、現在の知的財産法制のあり方を問うトピックを見渡しやすいテーマなのかもしれません。
 ともあれ、こんな小難しいことを考えながらネタを鑑賞しても、面白くも何ともありませんね。皆さま、風邪など召されませぬよう、(今年最後のコラムになるやもしれませんので)良い年末年始をお過ごしくださいませ。

(RC 末宗 達行)

*1 例えば、Yahoo! Japan知恵袋では、2012年5月12日の投稿で「ギャグやコントに著作権はありますか?例えば、あるお笑い芸人のネタをパクって、y...」(2014年11月24日確認)というタイトルの質問があった。

*2 スポニチHP「これを機に中国進出?アンジャッシュ ネタ“パクられた”(2012年1月30日 06:00)」((2014年11月24日確認)

*3 ORICON STYLE「アンジャッシュ・児嶋、ネタのパクリ疑惑に寛容コメント『光栄なくらい』(2012年2月5日 14:16)」(2014年11月24日確認)

*4 Wikipedia, “Joke Theft” (2014年11月25日確認)

*5 Ibid.

*6 BBC NEWS MAGAZINE, "Who, What, Why: Can a joke be copyrighted? (22 July 2010 Last updated at 12:15)" (2014年11月25日確認)

*7 Ibid.

*8 Ibid.

*9 中山信弘『著作権法』(有斐閣、第二版、2014)547-548頁

*10 前掲注9・中山 85頁

*11 島並良・上野達弘・横山久芳『著作権法入門』(有斐閣、2009)35頁

*12 前掲注9・中山72-74頁及び前掲注11・島並ら32頁をそれぞれ参照。

*13 産経WEST HP「“一発ギャグ”が知財になるかも…特許庁が「音」の商標登録の審査基準固める 知財大国「米国」の基準と差別化で盗用防止へ(2014年7月20日 02:00)」(2014年11月25日確認)

*14 どうやらイギリスではパブリシティの権利を入れていないようです。パブリシティ権のような新たな権利の権利範囲の確定は判例法ではなく立法によるべきであるということや、権利の存続期間についても考慮しなければならないことなどを一因として、イギリスの裁判官はパブリシティ権の導入に積極的ではないようです。(Cornish, W. R., Llewelyn, D., and Aplin, T., Intellectual Property: Patents, Copyright, Trade Marks and Allied Rights, 8th edn (London: Sweet & Maxwell, 2013), at 676, 677)

*15 Supra note 6

*16 朝日新聞・朝日求人ウェブ「仕事力 「おさまってたまるか」 中村勘三郎が語る仕事―1」(2014年11月25日確認)

2014年9月 「渋谷達紀先生を偲んで」 (渋谷研究室出身者)

「渋谷達紀先生を偲んで」

 RCLIPに所属され、研究会での発表もされていた渋谷達紀先生が、8月29日にお亡くなりになりました(享年74歳)。RCLIPには高林先生と並んで渋谷先生のご指導をいただいた者も多く、ここに渋谷研究室出身者の回想を掲載し(五十音順)、先生への哀悼の意を表明したいと思います。
 なお、先生の御通夜は9月4日に、告別式は5日に執り行われ、多くの知財関係者が参列されました。祭壇の側には先生の著書が並べられ、在りし日の業績が改めて感じられました。

渋谷達紀先生の思い出
 社会人になってから既に相当な年月が経った2010年4月に早稲田大学大学院法学研究科に入学し、渋谷研究室にお世話になることになりました。2010年度は、渋谷先生が早稲田大学で教鞭を取られた最後の年であり、私は「最後の弟子」ということになります。学期開始前の履修指導の際に、履修予定科目についての話はほとんどなく、私の所属企業が関与した商標関係の事件や学位取得後のことなどについて率直なご意見を聞かせて頂いきました。これが、渋谷先生との直接の邂逅でした。
 渋谷先生は、退官された後も、知財関係の雑誌にかなり高い頻度で論文を出稿されておられ、本年6月及び8月には『不正競争防止法』(発明推進協会 2014年6月)、『種苗法の概要』(経済産業調査 会 2014年8月)をそれぞれ発行されていました 。毎年の工業所有権法学会でもお会いしており、渋谷先生にお会いするたびに、商標法の教科書の執筆・発行をお願いしていました。作家のような生活をしているとおっしゃりながら精力的に活動されていただけに、急逝されたと連絡を頂いた際には声も出ませんでした。
 先生はあまりお酒が出る場がお得意ではなかったと伺っていますが、年1回程度開催された渋谷研究室の夕食会では、いつもにこやかな笑顔でお話されておられ、忙しく研究を継続されているなかで、こうした懇親の場が幾ばくかでも安らぎの場になっていたとしたらうれしく思います。また、判決について研究会をしようとのご提案を頂き、検討対象候補のリストまでお送り頂いたにもかかわらず、そのときは時間的な都合がつかず実現できずにいました。厳しくも豊かな指導をいつでも頂けると考えていたことが悔やまれます

(RC 足立 勝)

渋谷先生と知的探求心
 主に知的財産法を中心に研究することを思い立ち、社会人修士として2004年に母校の大学院法学研究科に入学した折は、まだ現職の裁判官であったこともあり、周囲からは「何で今更、この立場の人間が?」という奇異の念で見られている自覚が強くありました。そのような変わり種の研究生にも分け隔て無く、温かく接してくださった渋谷先生の態度は、修士課程の2年間を送る中で、大きな心の支えでした。当時、私が担当していた事件について渋谷先生から御質問があり、(もちろん守秘義務に反しない範囲で)お話しさせていただいたとき、「証拠が足りなくて事実認定できないという裁判は、やはりあるんですねえ」と目を輝かせておっしゃっていたのが強く印象に残っています。
 弁護士となってからは、知財事件や実務法曹とはだいぶかけ離れた分野にも色々手を出してしまっていますが、「自らの知的探求心の赴くままに行動せよ。」という今の自分を支えてくれる原理原則は、渋谷研究室で過ごした2年間で培われたものであり、渋谷先生御自身の研究者としての生き様から学んだものだと思っています。渋谷先生に「またこういう新しいことを始めました。」ともはや報告できなくなってしまったことが、本当に残念でなりません。

(RC 大西 達夫)

渋谷先生の思い出
 社会人になってから勉強の楽しさ、大切さを知り、2004年に早稲田大学の門を叩きました。入試の面接では私からみて右側に木棚先生、左側に高林先生、真ん中に渋谷先生が座られ、それぞれたくさん質問をされ内心冷や汗をかきっぱなしでした。しかし、面接終了後に「この学校入学できたら絶対面白いぞ」とわくわくしたことはよく覚えています。
 初めての渋谷先生の授業ではリパーゼ事件最高裁判決についての報告を割り当てられました。自分なりに一所懸命調べ、考えて、「審査段階のクレームの役割は、出願人と審査官とがする議論の対象を特定することである。ゆえに両者の認識に齟齬が生じないようクレームの用語はできるだけそのまま解釈する必要がある。」ということを訥々と述べたところ、渋谷先生は「もやもやしていたものがすっと晴れた気分でしょう。」と、にこやかに話しかけてくださいました。
 修士課程を修了し博士課程に進学してからは、仕事で忙しい部署に配属されがちになったため休学を繰り返してしまいまいたが、余裕ができたときには復学して必ず渋谷先生の授業に出席するようにしました。渋谷先生はいつも、ご自分が知らなかった事柄に接したときには本当に楽しそうな表情をしていらっしゃいました。
 思い返せば、知的で個性的な同級生、先輩、後輩とともに週2回も渋谷先生の授業を受けることができた修士課程の2年間は何と貴重な日々であったろうと思います。生涯探求心を失うことのなかった渋谷先生の姿勢を間近でみられたことは何物にも代えがたいものでした。

(RC 加藤 幹)

渋谷先生と渋谷研究室
 私が早稲田大学の大学院法学研究科に入った2004年は、法務研究科(ロースクール)の元年であり、高林先生はそちらに専任ということで、知財を選択した院生は全員渋谷先生の研究室に所属することとなりました。そのため、全部で8名という大所帯となり、うち5名は自分や大西さん、加藤さんを含め社会人で、先生はかなり大変だったのではないかと思われます。ただ、学生の立場である私としては、在学中ワイワイと楽しい雰囲気で過ごすことができ、修了後も色々と集まり易くなり、結果として良かったと感じているところです。
 当時は、まだ先生は教科書を出しておられず、草稿を配布資料として授業をされていました。それまでに色々と自分の中で溜めていた疑問点や草稿を読んでさらに浮かんできた質問を毎週の授業後にペーパーにして提出していたところ、いたく喜ばれて新しく発刊された本の前書きに謝辞をいただいたことは大変光栄な思い出です。すでに数多の論文を出されていたのに対して、なぜかハードカバーの本は単著としては昭和54年に遡るまでなかったため、不躾にも、直接「単行本は出されない主義なのですか?」とお尋ねしたことがあります。お答えは「いや、そういう心算ではないですよ」ということで、実際、その年出された有斐閣の「知的財産法講義」シリーズを皮切りに多くの書籍を上梓されたことはすでに多くの方がご存知のことと思います。
 実は、その後も色々と質問を書き溜めていたのですが、先生はメールをされないという方でしたので、修了後は中々お渡しする機会もなく、年に1回ペースで行われていた先生を囲む親睦会で2、3度お渡しできただけになってしまっていました。今こうして回想を書くにあたり考えてみれば、通常の郵送をすればよかっただけで、色々と理由をつけてサボっていただけであったと悔やまれます。
 この親睦会ですが、入学したての頃は、先生のお人柄を余り存じ上げなかったこともあり、飲み会にお誘いすると研究のお邪魔になるかと遠慮していたところもありましたが、学生と様々な会話をされることは非常に楽しそうで、毎回の親睦会を楽しみにされていたようでした(漫画「MASTERキートン」に登場する、パブでユーリ先生の元に集まる社会人大学生のような雰囲気だと例えたら、漫画好きの人には分かってもらえるかもしれません)。
 先生が早稲田を退職された年には謝恩会の企画もあったのですが、ちょうどその年に震災があり中止となってしまったことは残念でした。翌年からまた復活したのですが、昨年の6月に再開2度目の親睦会を行ったのが、先生とお会いした最後となってしまいました。
 このときに撮影した写真は、優しい笑顔が印象的な往時の先生のお人柄を偲ばせる格好のポートレートとなっていると思いますので、撮影者である大野伸子さん(渋谷研究室2期生)の許諾を得て掲載しアップロードしたいと思います。先生は、著書にサインをされない方でしたので、せめてお写真をということで撮影したものだったと記憶しています。

(RC 平山 太郎)

渋谷達紀先生を偲んで
 去る9月1日、恩師・渋谷先生が逝去されたとのメールをいただきました。3月の下旬、早稲田大学の法律文献情報センターで資料を調べておられた先生に偶然お目にかかる機会がありましたが、その際はとてもお元気なご様子でしたので、まさかそれが先生のお声を聞く最後になるとは思っていませんでした。それだけに驚き、また深い悲しみに襲われました。
 顧みると、2009年4月、私が、大学(法学部)を卒業して以来51年ぶり(満74歳)でアカデミックな世界に再度足を踏み入れ、早稲田大学大学院法学研究科で科目等履修生として先生の「著作権法」の講座を受講したときが、渋谷先生との出会いでした。その後、2010年4月~2011年2月の間には、不正競争防止法(私の研究分野)についてのご指導をいただきました。渋谷先生は、2011年3月末をもって、70歳の定年で早稲田大学を退職されましたが、退職後にもかかわらず、翌2012年1月には、私の修士論文審査の「副査」を務めていただき、また、私がドクターコースの試験に合格した2012年2月、次のようなお祝いと励ましのお言葉をいただきました。このお手紙は今も大事にしており、これまでも、研究に行き詰まり、迷ったり、悩んだときには、これを読み返し、心の支えにしてきました。
 「ドクターコースでの研究は、道程標のない一人旅のようなところがあります。そこが楽しいところでもあるのですが、心もとない思いをされるかもしれません。傍目八目いうこともありますので、必要なときはどうかご遠慮なくご連絡下さい。足立さんとご一緒に、初志貫徹されることをお祈りしています。」
 こんな暖かいお声を聞くことが叶わなくなったことは、本当に残念でなりません。でもいつまでも悲しんでばかりいる訳には参りません。先生の著作を紐解けば、先生の心の声を聞くことが出来るからです。これからは、星空からのお声を心の糧にして、所期の目的の達成に向けて努力する心算です。
 先生は、私の第二の故郷である京都が大変お好きで、毎年、烏丸御池にあるホテルを定宿にして、徒歩で行ける祇園界隈のおいしい小料理屋を訪ねるのを楽しみしておられました。先生からお気に入りのお店を何軒かご紹介いただいとことが、昨日のことのように脳裏によみがえってきます。
 渋谷先生、どうか見守っていてくださるとともに、安らかにお休みください。
 合掌

(RC 結城 哲彦)

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2013.6.15 高田馬場FLATTORIAにて

2014年8月 「“progredir”, “liderar”, “inspirar”」 (RC カラペト・ホベルト ブラジル弁護士)

「“progredir”, “liderar”, “inspirar”」

 安倍晋三首相は7月25日から8月2日までの日程で中南米5ヵ国を訪問し、7月31日から8月2日にかけて最終訪問国であるブラジルを訪れた。これは、ブラジルへの日本の首相の訪問としては10年ぶりのことであり、両国の協力関係の一層の緊密化を目的としていた。安倍首相はスピーチの際、これからの日伯協力関係のキーワードとして、ポルトガル語で、「progredir」(発展する)、「liderar」(先導する)、「inspirar」(触発させる)の言葉を挙げた。
 ブラジルにとって、日本との協力関係の緊密化は不可欠とまでは言わないにしても非常に重要であることに間違いはない。日伯関係の歴史は長く、日本との関係はブラジルの農業・産業の発展に関し大きな刺激を与えた。
 ブラジルと日本の間の関係は1895年に日伯修好通商航海条約の締結から始まったが、実は、本当のスターティングポイントは、笠戸丸に乗った日本人たちが52日間かけてブラジルに到着し、正式な移民が開始した1908年といえる。初期の移民者は、当時ブラジルで使用されていた農業と漁業の技術を改良した。その改良の成功を一つの契機として移民者の数が増加し、1930年の時点で、ブラジルは既に、世界で一番多く日本からの移民者を受け入れた国であった。
 日本から新たに導入された技術の例としては、水耕栽培および農業上のプラスチックの使用がある。また、ブラジルにおいて未知だった果物や野菜を紹介し、ブラジルの風土に順応させるための品種改良が多く行われた。例として、カキ、ポンカン、イチゴやふじ (リンゴ)がある。それらの果物は、現在人々にとって一般的な食べ物としてブラジルに根付いている。また、ブラジルは現在、鶏肉の世界最大の輸出国であるが、日本からの鶏肉の飼育にかかわる指導を受けなければ、現在の程度に至らなかったとさえいえる。
 その他の顕著な例はジュート(黄麻)の育成と使用である。1930年に日本の政治家であった上塚司氏(熊本県出身の衆議院議員で当選7回、南伯開拓の先駆者上塚周平氏の甥)は国士舘高等拓殖学校校長となり、アマゾンでジュートを持続的に育成することに力を入れた。当時も、アマゾンの低湿地帯の作物には、ジュートが適しているということは理解されていたが、最初に導入された品種では失敗続きだった。そのような中、国士舘高等拓殖学校の関係者であった小山良太さんは、アマゾンで初めてジュート栽培に成功したのである。ジュートは特に、当時のコーヒー農業に使用するコーヒー袋として必要な素材であったため、国内でジュートが収穫できることは極めて有益なことであった。また、日系移民発祥の地である、アマゾンのトメアス市では、ブラジルにおいて初めて、胡椒の生産が導入された。1933年に生産が始まったが、その後ますます拡大し、現在ブラジルは世界第3位の胡椒の輸出国である。
 しかし、農業において日本から受けた最も重要な貢献は、セラード地域における、持続可能な農業生産技術である。セラードとは、ブラジル内陸中西部に広がる熱帯サバンナのことである。1974 年、日本とブラジルは協力してセラードの開発に取り組むことになり、1979 年に「日伯セラード農業開発協力事業(PRODECER)」を開始した。PRODECERの活動の結果として、セラード産の大豆とトウモロコシをはじめ、綿花やコーヒーなどの多くの農産物の生産が可能になった。1970年代の世界食料危機の中において、ブラジル国内の農作物生産量の増加は、日本にとっても大きな利益となった。
 1950年代後半、ブラジルの工業化が始まった。そこでも日本の影響は大きかった。そもそも、1958年時点では、高卒以上の学歴を有しているブラジル人の21%は日系人であり、多くの日本人は理工学部もしくは医学部を卒業したため、当時のブラジルの工業化には多くの日系人が貢献した。さらに、トヨタ、イシブラス(石川島播磨造船-後に撤退)、ウジミナス製鉄(日伯共同の鉄鋼事業)等は1950年代にブラジルに進出した。ブラジルの工業化の始まりの時点では、日本からの資本と技術の移転は極めて重要なことであった。
 ブラジルにおいて日本企業の活動の代表的な例としてはトヨタがある。トヨタは1958年にブラジルで事業を始め、翌年には海外生産第1号となるランドクルーザーFJ25Lの生産を開始した。そのモデルはその後、ブラジルの顧客のニーズに合わせた「バンデランテ」と呼ばれるモデルへと発展した。
 さらに直近の例を挙げれば、ホンダは2013年にブラジルに研究開発センターを設立した。加えて、サンパウロのイタピラナ市では新たな工場を建てることで、国内生産量の倍増を計画すると同時に、ブラジル国内で製造された部品、原材料、製造にかかわる機器の調達額を増加させることを目指している。ホンダのブラジルの子会社は、また、風力原動機による発電を開始している。
 知的財産権においても、ブラジルは、日本からの刺激を受けている。歴史的な知財判例としては1982年のYKK事件判決(TA CrimSP - HC 114.846-SP - 5a Câm. J. on 29.06.1982 - Rel. Adauto Suannes)がある。当事件は商標の冒認出願に関する事件であるが、ブラジルの現行法には、当時、冒認出願に関する規定がなかった。YKKは冒認出願人に訴えられた。仮処分レベルでは冒認出願人が勝ったものの、最終判決では冒認出願人の悪意を検討し、YKKが勝訴した。その判決から有名となったあるフレーズがある。それは、「原告は、自分の競争相手を尊重しない。すなわち、原告は消費者をも尊重していないと考えられ、それは非難されるべきことである。また、原告が司法を尊重しておらず、侵害の道具として裁判所を利用しようとしたことは、驚くべきことある」というものだった。

 ブラジルの特許制度の特徴的なところは、医薬製品に関する特許出願である。この場合特許庁からの審査のみならず、ANVISAという衛生監督局からの審査も受けなければならない。このような二重審査の範囲を明確にする主要判例としては、TAKEDA事件判決(36428-83.2009.4.01.3400. 7th Federal Court – Brasilia. Hon. José Márcio da Silveira e Silva)がある。
 このように、わずか100年のブラジル発展の歴史において、日本からの協力の重要性は、いくら強調してもしすぎることはない。現在、ブラジルにおいて発展のための資本と技術が再び必要となる上に、日本経済の拡大のためにも、その協力関係が有利に働くであろう。現在、ブラジルは、アジア諸国以外で日本が最も多く投資している地域である。そして、日本からの直接投資はブラジルが受けている全投資額の5%に相当する。そして、その協力関係は、さらに拡大する余地があるといえる。100年の間に培われたブラジルと日本の信頼関係を基に、今後両国が真の戦略的パートナーとして世界経済の持続的な発展に寄与することができるのではないか。安倍首相の言葉の通り、両国が「progredir」(発展)するためには、互いに「inspirar」(触発)されるのみならず、日本がその協力関係を「liderar」(先導)していくことが望まれる。

(RC カラペト・ホベルト ブラジル弁護士)

2014年7月 「DAAD研修生との日常など」 (RC 三村 量一)

「DAAD研修生との日常など」

 去る6月14日をもって、知財高裁の飯村敏明所長が定年退官された。他方、米国CAFC(連邦巡回控訴裁判所)のレーダー長官も、6月末日をもってCAFC裁判官を退官された。飯村所長とレーダー長官は、多年にわたって盟友関係にあり、日米の裁判官が共同参加する知財シンポジウム等の開催等において協働してきた。日米両国において永年にわたって知財訴訟を主導してきた二人が、偶然ながら、ほぼ同時期に裁判所を去ることになった。飯村所長と私は、1998年から7年間東京地裁知財部の姉妹部(民事29部と民事46部)の裁判長として一緒に知財事件の審理に当たったほか、2006年から2008年まで2年間知財高裁の同一部の構成員として合議体を構成した間柄である。また、レーダー長官も、欧米や日本でのシンポジウム等を通じての友人である。お二人とも、大変に個性的な人物であり、訴訟指揮や判決といった裁判官の枠組を超えて、法廷の外においても、論説、講演をはじめとする言動により、知財分野に多大な影響を与えていた人物である。お二人が去った後の日米知財専門裁判所の動向を予想することは、現時点では難しいが、お二人によって築かれた知的財産権重視の風土は、日米の裁判所によって今後も守られていくものと考える。
 ところで、私の執務室には、7月1日からドイツからの研修生が滞在している。昨年は、7月から3か月間、ドイツの司法修習生 Jesco Lindner 氏が私のもとで修習した。ドイツからの研修の受入れは、今回が2回目になる。今回は、DAAD研修生 Daniel Kaneko 氏が7月から12月末まで6か月間私のもとで研修する。「DAAD」とは、「Der Deutsche Akademische Austauschdienst」(ドイツ学術交流会)の略称で、ドイツ連邦共和国の大学が共同で設置している機関であり、連邦の公的拠出金を財源基盤として運営されている。DAADは、ドイツから諸外国への留学・研修プログラムのほか、諸外国からドイツへの留学・研修プログラムも提供しているから、早稲田大学でも、DAADの奨学金に応募する学生は、少なくないであろう(なお、DAADのホームページは、https://www.daad.de/de/index.html。DAAD東京事務所のホームページは、http://tokyo.daad.de/wp/category/ja_news/)。Kaneko 氏のプログラムは、1年6か月の日本における研修であり、9か月の日本語研修、6か月の実務研修と2か月の官公庁研修などから構成されている。現在は、6か月の実務研修期間中である。
 Kaneko 氏は、ドイツのケルンの生まれ。デュッセルドルフ大学法学部で履修し、司法試験合格後に、DAADの研修生として来日した。デュッセルドルフ大学では、早稲田大学RCLIPと関係の深い知財法中央研究所(Zentrum für Gewerblichen Rechtsschutz)の Jan Busche 教授のもとでアシスタントを務めていたという経歴の持主である(同研究所のホームページは、http://www.gewrs.de/)。Kaneko 氏は、DAADの研修後は、ドイツに帰国して、知的財産法分野で博士論文を執筆する予定である。今後、早稲田大学RCLIP主催の催しには、積極的に参加する予定なので、よろしくお願いします。
 私のもとで、Kaneko 氏は、日本の司法修習生とほぼ同様の研修を行っている。研修内容は、外国法調査をはじめとする法廷活動準備作業の補助、依頼者(訴訟当事者)との打合せへの同席、法廷活動の傍聴のほか、各種の外部研究会への参加である。Kaneko氏は、語学研修の甲斐あって日本語も相当程度上達しており、事務所では、日本語、ドイツ語と英語が飛び交っている。私自身のドイツ語の勉強のためにはドイツ語でのやりとりを増やしたいのだが、Kaneko 氏の日本語の勉強のためには、それもままならない状況である。

(RC 三村 量一)

2014年6月 「奮闘する50歳の新任教員」 (RC 安藤 和宏)

「奮闘する50歳の新任教員」

 2014年4月1日に東洋大学の専任教員になってから2か月余りが経過した。50歳の新任教員として悪戦苦闘する毎日であるが、それでも徐々に新しい環境に慣れてきた。当初は他大学に比べて学生の私語が多いと感じていたが、今では授業中に学生を注意することもほとんどなくなった。ゼミ運営も軌道に乗ってきたようで、着任時には判例の読み方や判例評釈の書き方も分からなかったゼミ生が、今では判決の射程をきちんと書けるまでになっている。
 東洋大学に入って驚いたのは、創設者である井上円了の建学理念が教育内容にかなり活かされているということだ。東洋大学では、建学の理念として「自分の哲学を持つ」「本質に迫って深く考える」「主体的に社会の課題に取り組む」を掲げているが、この建学理念を受けて、法学部でも学生が積極的・主体的に物事を考えるために授業を展開するように心がけている。
 また、東洋大学では、円了の教えに従い、「余資なく、優暇なき者」(資産や時間に余裕がない人々)のために開かれた大学を目指しており、日本の大学で唯一、都心キャンパスに設置した主要学部にイブニング・コース(2部)を設置している。他大学が夜間学部を閉鎖する中、21世紀に入っても新規設置を続けており、教育格差の是正に貢献している。
 私もイブニング・コースの授業を2クラス(法学基礎演習・知的財産権法A)担当しているが、そこではなかなか興味深い現象を見ることができる。知的財産法の授業では、毎回約80人の学生が出席しているが、前の方の席を30代・40代の社会人学生が陣取るのである。そして、真剣な眼差しで、私の講義を一言も聞き逃すまいとノートを取るのである。この数名ではあるが、熱意溢れる社会人学生の態度は、面白いようにほかの学生に伝播する。おかげで今では、ほとんどの学生が真剣な面持ちで授業を受けるようになった。
 思えば13年前に早稲田大学大学院に社会人学生として入学し、20代の学生に交じって勉強を始めたとき、私は彼らと同じ立場にあった。当時37歳の私は、法学の知識が仕事に必要であったという事情があったにせよ、知的好奇心が旺盛であった。もちろん、自腹で授業料を払っているので、「元を取らねば」という狭い了見もあったが、それでも自分の知的好奇心を満たすために、仕事先から電車に飛び乗って大学に通っていたことを覚えている。
 現在、早稲田大学大学院の法学研究科では、私が通っていた頃よりも社会人学生がかなり減少しているようである。東洋大学のイブニング・コースでも社会人学生の割合はまだまだ少数である。これから少子高齢化がますます進む中で、知的好奇心に溢れた社会人を大学に戻すことは、大学教員に課せられた大きな課題だと思う。アメリカの大学のように、キャンパスに社会人学生が普通に見られるような社会を作ることに、少しでも貢献できたらと思う今日この頃である。

(RC 安藤 和宏)

2014年3月 「魔法の箱」 (RC 五味 飛鳥)

「魔法の箱」

 みなさま、年度末のバタバタをどのようにお乗り越えになられたでしょうか。私事で甚だ恐縮に存じますが、近時足首の靱帯を断絶するというような滅多にないオモシロ事案が発生したこともあり、殊の外心落ち着かない日々を過ごしておりましたが、石神井川の桜並木が靄をたなびくかのように色付いたのに併せて、眼前に山積した仕事も霧散して(ないけど)、やっと人心地付いたところでございます。
 練馬にも、春がやって参りました。
 ところで、自宅の居間からその桜なぞを眺めつつ、NHKオンデマンド(NHKで放送された番組の有料配信サービス)で今更ながら「あまちゃん」などを鑑賞しつつ涙しておりましたところ、昨年のちょうど今頃に放送された「サイエンスZERO」という番組の「3Dプリンター「魔法の箱」の真骨頂!」という回が目に付きましたので、ビールをちびちびやりながら視聴致しました。
 なんでも、3Dプリンターさえあれば、自転車だって、機関銃だって、人骨だってつくれるとのこと。しかも、どんどん進化していると。樹脂を重ねるだけかと思っていたら、もう金属すらも印刷できちゃうと。将来は3Dプリンターでパソコンだってテレビだって印刷できちゃうと。米国を中心に3Dプリンター用のデータを販売しているサイトがあって、そこからデータをダウンロードしてきさえすれば、メガネでもオモチャでもちょっとしたアクセサリーでも、自宅の3Dプリンターで印刷できてしまうと。これは。。。確かに「魔法の箱」。
 しかし、番組が進むにつれて、「いやいやこれはまずいまずい。ビールなんて飲んでいる場合ではないではないか」と、おしりがむずむずするような感覚に襲われました。大丈夫なんでしょうか。どうなんでしょう。現行の意匠法は、果たしてこういう事態に対応可能な制度になっているのでしょうか。
 例えば、デザイナーがメガネのデザインを考える。そのデザインを3Dデータにしてネットにアップロードし、いくらかの値段を付ける。需要者はサイトでそのデータを購入した上でダウンロードして、自宅の3Dプリンターでメガネを印刷する。そして、使用する。需要者によるデータのダウンロード、3Dプリンターでの印刷及びメガネの使用は、いずれも「業として」(意匠法23項)の行為ではありません。デザイナーによるデータのアップロード行為及びデータの公開行為は、業としてではあるものの「実施」(法2条3項)には該当しないようです。意匠に係る物品を譲渡ないし展示等しているのではなく、単にデータを販売しているだけですから。つまり、仮に他人のデザインを完璧に模倣して、ネットにデータをアップロードする者がいても、その者の行為は、意匠法では規制できないということです。ちなみに、物品のデザインは著作権法では保護されないというのが通説ですから、3Dデータそれ自体がコピーされたのでもなければこのような行為を著作権法で取り締まりることは難しそうです。物理的な商品自体は流通しませんから、不競法のデッドコピー規制も、果たして役に立つのかどうか。。。
おそらく、これは意匠法の「実施」の定義を改正すれば足りるというような問題ですらありません。3Dプリンターがもっと発達すれば、それによって世の中は、本格的な多品種少量生産の時代に突入するはずです。気の利いた需要者は、ありもののデータを買ってきて、それを自分の気に入るように少し修正してから印刷するというようなことをするようになる。最終的には、道を走る自動車はどれもこれも同じではないというようなことになります。現行の意匠法は、少ない品種が大量に生産されることを前提として組み立てられています。根本的に、思想が異なります。
 もちろん、「道を走る自動車はどれもこれも同じではない」というような社会の実現は、もう少し先のことなのでしょう。しかし、まだまだ未熟な技術と対応に手をこまねいていると、わずかな間に川沿いの冬風景が一変するように、あっという間に時代は変わります。今年2月に発表された産業構造審議会の報告書「創造的なデザインの権利保護による我が国企業の国際展開支援について」は、意匠制度の国際調和に対して一定の方向性を打ち出しました。大いなる一歩です。データはいとも簡単に国境を越えます。そのようなデザインの包括的な保護にとっても、制度の国際調和は、きっと役に立つことでしょう。今後も、新たな時代に対応するよう漸次制度が進歩していくことに期待したいと思います。

(RC 五味 飛鳥)

2014年2月 舩木倭帆先生と応用美術 (RC 安原 正義)

舩木倭帆先生と応用美術

 吹きガラス作家の舩木倭帆先生は、昨秋11月10日にお亡くなりになられました。船木先生は、あまりご自身についてご自分からお話しになられない方でしたので、私が先生から伺ったことを含め先生とその作品について少しご紹介させて戴きます。併せて、舩木先生の作品をきっかけとして応用美術について感想を述べてみたいと思います。
 舩木先生及び作品の詳細は、許可を戴いておりますので、以下の(株)WILLのホームページをご覧ください。

LinkIconhttp://www.will-cefi.com/2012/funaki/index.html

1.舩木先生の作品
 舩木倭帆先生の作品は、(株)WILLのホームページをご覧になって戴ければお判りのように、舩木先生から伺った倉敷の大原美術館の関係者の方あるいはある女優さんから「使いやすい厚さ」、「厚いけど繊細」といわれています。先生もその評価を喜んでおられました。
 涙壺と称される小さな球形の壺について作品をお持ちの方は、「優しい形」、「涙壺には既に想いが込められている」、「何を入れるものかと考えてみたけれど、沢山の想いが既につまっていて、涙壷という題が、なんだかひどくしっくりして、余計に悲しい。あの曲線は、涙なのだろう。とても暖かく、優しい。」といわれておられます。

2.舩木先生のご実家
 舩木先生の実家は民藝運動に関わられた島根県宍道湖のほとりにある布志名焼窯元で、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎、芹沢銈介、版画家の棟方志功などが訪れ、またイギリス人陶芸家バーナード・リーチも滞在して陶芸制作をしました。
 バーナード・リーチを特集した日曜美術館(Eテレ)でも、布志名焼窯元が紹介されていました。出演されておられたのは多分先生の甥御さんだと思います。

3.舩木先生のキャリア
 舩木先生のキャリアについては、(株)WILLのホームページを引用させて戴きます。
 「手作業から機械製造へ
 歴史の浅い日本には民芸の規範となるようなガラス器が乏しく、それなら自分が作ってみたいと吹きガラスの世界へ進みます。それも自分でデザインを考え、自身でガラスを吹き、作品を創るという、これまで誰一人歩いてこなかった、先達のいない道を選んだのです。
 この道に一歩を踏み出したころの日本は、ガラスは町工場で作られる安物の冷たい感触の物や機械の量産による無機的な感覚のものであふれていました。しかし、私の目指すガラスは、不純物を極力取り除いた、手の切れるような鋭いガラス器ではなく、正倉院御物にあるような温かい感覚を持ったガラスでした。
 大学を出るとすぐに、大阪の町の「清水硝子製造所」というガラス工場に就職。当時はすでに人の手から機械による量産へ移行する過渡期でしたが、この工場では吹きガラスによるメスシリンダーなどの計測器や、コップ、花瓶、フラスコやビーカーなど、様々なガラス製品を作っていました。正確に早く吹くことが要求される仕事で、熟練した技を持つ職人も多くいました。」
 「10年間この工場で働きましたが、それは決してつらい思い出ではありません。職人さんたちの豊富な知識、経験、技術。若い私には彼らが語る話のひとつひとつが興味深く、勉強になる事柄だったのです。」
 「若かったころは技術面では、工夫を重ね試行錯誤をくりかえしながらの毎日でしたが、『手仕事の吹きガラス』を一生の仕事とし、用の美を追究していく物づくりのおもしろさと厳しさ、進むべき道の方向性を照らし示してくれた多くの人に恵まれた良き時代であったと思います。」
(文・片岡)(舩木先生談 前出(株)WILLのホームページ参照)

 民藝運動に関係された方のお話しも舩木先生から伺いました。
棟方志功
 棟方志功氏は、お目が悪いので舩木先生に会われると、「倭帆(しずほ)君」と言われて、抱きついて確認されたのだそうですが、子供だったので、それが嫌であったと話されていました。

河井寛次郎
 昨年京都であった日本工業所有権法学会の翌日、河井寛次郎記念館に伺いました。開館時間前に到達しましたので、暫く塀の外で待ちました。外観は、一見京都の町屋のようです。しかし、建物の佇まいからして強烈な美意識を感じ入館前から緊張を強いられました。記念館の内部及び展示品の持つ美意識、緊張感はいうまでもありません。建物の外観に既に表れた緊張感を、舩木先生にお話したところ、「記念館の元河井寬次郎の住まい兼仕事場は、河井寬次郎が自ら設計したものなので、外観からして美意識を感じて当然。」とのことでした。

白洲正子
 白洲正子氏は、若い時代から舩木先生に期待されていたようです。白洲正子氏の京都の定宿に呼ばれては、「深い井戸を掘りなさい。」「早く独立しなさい。」と言われたそうです。舩木先生は、白洲正子氏は、ご自分の武相荘の庭に窯をつくらせるおつもりだったのではないかと話されました。

4.私と舩木先生の作品との出会い
 絵画などの美術品、工芸品を展示する高原アートギャラリーが、山梨県北杜市にあります((株)WILLのホームページ参照)。私は、近くに時々参りますので、当時は高原イラスト館と言っていたそこに偶然伺ったのが舩木先生の作品との出会いです。展示されていたグリーンの棗型の花瓶のフォルムに惹かれました。非常にシンプルでありながら、モダンな形状です。グリーンあるいはブルーの小さな円形が表面に表されたグラスも気になりました。
 その後、私の事務所の近くにある神楽坂の懐石料理店に偶然入ることがありました。カウンターから食器棚をみると、舩木先生のグラスが飾ってあります。思わず確認すると、そのグラスに冷酒をそそぎ、次々、舩木先生の作品にお料理を盛って戴けました。これが、神楽坂の懐石料理店弥生さんとの出会いです。
 弥生さんは、通っているうちに判りましたが、中村勘三郎さんとご昵懇のお店でした。中村勘三郎さんを偲ぶ会に使われた「ありがとう」の文字が入った白ワインのエチケットは、女将さんが一枚一枚千本に張られたそうです。お店に飾られている、中村勘三郎さん勘九郎さん七之助さんお三方の隈取は是非ご覧になって戴きたいと思います。弥生さんの近くにある「勘三郎せんべい」を販売される神楽坂通りに面したおせんべい屋さん、福屋さんではまだ、ボトルが展示されています。
弥生さんでは、中村勘三郎さんご夫婦を含め、私でも存じ上げている劇作家、写真家をカウンターで拝見したことがあります。舩木先生とは、何回か弥生さんで偶然お会いし、お話を伺うことができました。
 舩木先生の作品集では、お料理を盛り付けた写真が何点もありますが、そのお料理は弥生さんが調理されたものでした。
 その後、高原アートギャラリーの関係者の方々と、弥生さんで、舩木先生の作品にお料理を盛っていただく機会を持てました。カウンターのライティングは、弥生さんの女将さんの自慢ですが、ライティングによって器の模様がカウンターに映りお料理を引き立てます。蜘蛛の巣状のガラス模様の投影は美しいものです。弥生さんのカウンターの奥には、今は、舩木先生から戴いた緑色の花入れが吊るされています。

 高原アートギャラリーでは、舩木先生をお招きした内輪のパーティーが何夏かおこなわれました。舩木先生はがぶ飲みできるワインが合うとおっしゃっていましたが、そのとき、手元にあったオーブリオンとマルゴーブランをお持ちし、舩木先生のグラスで楽しんでいただけました。
 舩木先生の作品が、私に、高原アートギャラリーと弥生さん、そして舩木先生にまで繋げた力に驚くばかりです。この原稿も、先生の作品を傍らにして書いているのですが、作品の放つ美意識に居住まいを正される思いです。

5.応用美術と著作物
 応用美術については、分野により著作物に該当するか否かを判断する考えがあります。
舩木先生の作品は美術工芸品と思いますが、舩木先生の作品との関連で考えても、どのように切り分けるのかは簡単ではないように思います。

1.舩木先生の大きな作品
 大きな花瓶、大皿は少数作られたと思います。「手仕事の吹きガラス」として作られています。これらは美術工芸品にあたるでしょう。ガラス工場の吹きガラスで習得された技術を基にされた、「手仕事の吹きガラス」です。

2.舩木先生のコップ、小さな皿の作品
 舩木先生は、コップや皿は大量に制作されたとおっしゃっておりました。作り方としては、大きな作品と同じ「手仕事の吹きガラス」です。それぞれのコップや皿はよく見るとそれぞれ細かい点で異なっています。これら作品も、ガラス工場の吹きガラスで習得された技術を基にされておられると思います。
 こちらは、量が多いので、同じ舩木先生の作であっても美術工芸品ではないと考えるのでしょうか?

3.ガラス工場のガラス製品
 吹きガラス工場のガラス製品は、「手仕事の吹きガラス」ですが、大量に作られています。作り方としては、量産品のグラスも舩木先生の作品も「手仕事の吹きガラス」です。
 量産品は、「安物の冷たい感触の物」と舩木先生はおっしゃっておられます。逆にいうと、「冷たい感触」を与えるものではあります。
 弥生さんでは、量産品のグラスでビールを飲み、その後舩木先生のグラスで冷酒を飲み、舩木先生のお皿に卵豆腐、あるいはデザートとして洋梨の赤ワイン煮を載せて戴き、「量産」の陶器のお皿には、お造りを載せて戴く。それぞれのグラス、お皿に良さがあります。
 こちらは、意匠権の対象とはなっても著作権の対象とはならないと考えるのでしょうか?

4.機械による量産品
 機械による量産品と美術の著作物との関係を考える上で、私の以下の体験は参考にできるのではないかと思います。
 私の自宅近くにある府中美術館で数年前、夏休みの子供教室がありました。その注意書には以下の記載がありました。
(1)静かにしなさい。
(2)絵をじっくり見なさい。
(3)絵を見ることで、心に起きた変化を楽しみなさい。
 (1)、(2)は子供相手ですので当然です。問題は、(3)です。
 この注意書きについて、横綱白鵬の化粧まわしの原画を描かれた洋画家高波壮太郎先生に意見を求めたことがあります。先生は、(3)は、絵を鑑賞する上で、その通りであり、府中美術館の学芸員の指摘は的確であると述べられました。高波先生とは、「茶の本」で指摘されるように絵は耳でみるものではなく、心に「来るか来ないか」、心で感じるものであるとも話しております。逆に、音楽の問題ではありますが、最近のゴーストライターが問題となったクラシック音楽の騒動は、曲自体を心で感じず世間の評判で「聴いている」結果であって、誰が作曲しようが良い曲は良い曲で、駄目な曲は誰が作曲しようが駄目のはずです。作曲者の背景と関係なく曲が良いからフィギアスケートの曲に選んだという高橋大輔はさすがだと思います。

(高波先生の作品がよく展示されているgalleryR&T
 高波先生の作品展は、毎年高島屋で展示されます。今年は、大阪高島屋2月26日から3月4日の予定、新宿高島屋4月23日から29日の予定です。強烈な厚塗りをお楽しみください。

 ただ、心に起きる変化は人により異なります。手塚治虫の「火の鳥」には、ロボットに育てられた子供が、溶鉱炉の鉄の流れを春の小川と思って、和むシーンがありました。恐ろしい話ですが、さすが手塚治虫の指摘です。絵によって、人によって、心に「来るか来ないか」は異なると思います。だから、面白いのだと思います。

河井寛次郎
 河井寛次郎が十字土管に美を見出したのは有名な話です。河井寛次郎記念館にも十字土管に題材をとった作品があります。

横浜トリエンナーレ2011
 3年前、横浜美術館で、石田徹也も展示された横浜トリエンナーレ2011がおこなわれました。その中にお化けを特集したブースがありました。お化けの小さな液晶画面を持ったパチンコ台が、歌川国芳とならんで展示されていました。これが、すごく面白くてインパクトがあり、国芳や現代作家の作品に負けません。作者はかなりの力量の持ち主を思います。展示された横浜美術館の学芸員の力量に感心しました。この話も高波先生にお話しましたが、先生も私の感想に、ありうるとのご意見でした。

カップヌードルミュージアム
 横浜美術館の近くにカップヌードルミュージアムがあります。

 私は、その建物のコンセプトを理解するのに入館して15分ほどかかりました。その後、私の理解とプロデュースされた方のコンセプトが一致していることは、プロデュースされた佐藤可士和さんにオープニングパーティで直接確認させて戴きました。
 是非、カップヌードルミュージアムに行かれて、その印象をお聞かせください。但しコンセプトがお判りになっても、他の方がご自身でコンセプトが判る楽しみを奪わないためにお話にならないでください。
 コンセプトが判った時の喜びは、見ることで心に起きた変化を楽しむことでもありまます。昨年上野で見たミケランジェロのクレオパトラを前にしたときの心の変化と変わらないと思います。

東京国立近代美術館の展示
東京国立近代美術館では、「現代のプロダクトデザイン-Made in Japanを生むPRODUCT DESIGN TODAY: Creating "Made in Japan"」が、2013.11.1から2014.1.13まで開催されていました。

概要は、以下の通りです。そのままご紹介させて戴きます。
 「日本には、さまざまな伝統の工芸や地域に根づいた手工業が息づき発達してきました。ものづくり文化の基盤を支えるそれらの特有の技術に着目した現代のプロダクトデザイナーらは、生活を豊かにする提案を企画し、デザイン開発から生産、そして自ら製品発表や流通にも携わっています。そこでは、陶磁器や染織品、漆器、木竹工品、金工品など、デザイナーと地場の製造技術者らが親密に協同した新たな開発があり、さらに使い手との関係も深めつつ現代の生活を潤す道具が生み出されています。
 そうしたプロダクトデザインの現代を代表する小泉誠や城谷耕生、大治将典、またテキスタイルデザイナーの須藤玲子は、精力的に現代の生活感覚に見合う清新なデザインを発表し、活躍しています。彼らのデザインは、国内に留まらず国際的に発表や紹介がなされており、世界が注目する日本の優れたデザインの一翼を担っているといえましょう。あわせて新進の若手デザイナーらを取り上げ、身近な製品デザインをテーマとして集ったセンヌキやテーブルウェアなどを紹介し、これからのプロダクトデザインの将来とその可能性を検証します。
 本展覧会では、こうした日本のものづくりを担う気鋭のプロダクトデザイナーらに注目し、いわゆる今日のMade in Japanを生みだす優れたデザインと道具を紹介します。」
 この展覧会では、量産品が展示され、ショップでは展示されたものが販売されていました。日本の代表的な美術館で展示されるものが美術の著作物に該当しなくてよいのでしょうか?
 ショップで販売されていた量産品の、大陸の冬空を思わせる青磁色のエッジが鋭く切られた磁器製筆立てを、ある研究会で早稲田大学の上野達弘先生に差し上げましたが、研究会に出席されていた著作権法の他の研究者は如何お考えになられたのか、お聞きしたいと思います。

 自動車工場
 大量生産の代表と思われる自動車工場を、以前見学をしたことがあります。プレス加工した自動車ボデーの凹凸を白い布手袋をした作業員がボデー表面を触りながらチェックし、修正箇所はチョークで印をつけ、修正していました。
 単にプレスすれば終わりというわけではありませんでした。

5.まとめ
 私は、アートの知識は乏しく、高波先生から感性だけで絵を見ていると言われている者ですが、舩木先生の作品は、「手仕事の吹きガラス」だから感動するのではなく、舩木先生の作品を見ることで、あるいは触れることで、心に変化を起こすことができるから優れていると思います。見ることで、あるいは触れることで、心に変化を起こすことができるものは、「手仕事」であろうが、量産品であろうが、手作りであろうが、工業製品であろうが、変わりないはずです。
 結局、クリエーターのメッセージを受け手が受け止めて共感あるいは反発できるか否かだと思います。共感、反発は、美術の分野とは関係が無いと思います。

 上智大学の駒田泰土先生は、「美の一体性の理論」を唱えられています。美術を一体のもの(unity)として考えるお立場です(unity of art theory)。(『知財年報2009』(別冊NBL)219頁以下。およびLinkIcon『企業と法創造』通巻17号)。

 私には駒田先生がおっしゃることは、当たり前のことのように思われます。
 あまり、「量産」の如何等をもって、美術の領域を区別しようとすると、「キャンベルスープの罠」に嵌るように思います。
 意匠権と著作権の分野の問題は、成立と複製翻案の問題として処理されるのではないかと思います。

(RC 安原 正義)

2014年1月 実務と学問の融合 (RC 吉田 正義)

実務と学問の融合

 コラムとして初投稿させていただきます弁理士の吉田と申します。

 最近の知財業界に関する実務家としての私の実感を述べたいと思います。
 私は、1980年代半ばより日本の総合電気メーカーの半導体研究開発のエンジニアとして、また、事業部の管理職として、半導体産業に従事してきました。日本 の半導体産業にとって、80年代を「躍進の時代」とすれば、90年代は「不本意な?敗退の時代」でした。私にも、開発責任者として技術の知的財産面で戦略的活用方法を十分に理解しておらず、自社で開発し、当時高い評価を受けた技術をうまく利益に繋げることができなかったという苦い経験があります。
 そこで、先端技術分野における知的財産戦略を研究し、日本の会社(特に、半導体関係)が活力を取り戻す力をつけたいと考え、会社を辞めて早稲田大学の大学院に入りました。在学中に弁理士の資格を取得し、大学院の修了後、事務所勤務を経て、一昨年、新宿に特許事務所を開設するに至りました。

 日本の知財業界を概観すると、特許出願自体は、2008年のリーマンショック以降減少傾向にあります。この原因は、主に電機メーカーや自動車大手の出願数が減少していることによるものです。
 一方で、その間のPCT出願は一貫して増加しています。また、特許査定率も、その間増加し続けています。
 卑近な例で恐縮ですが、私が相談や依頼を受ける案件も、以前のような研究所で出てきたシーズを単純に出願するケースは減少しており、実用化(製品化)に結びついているものや、実用化を想定したものが圧倒的に増えてきていると感じます。
 これらの状況から判断して、日本の産業界において、知財の重要性は益々高まっており、企業は1つ1つの出願の有効活用を考え選択しつつ、重要な案件(海外展開も含めて)に資金を集中しつつある、と言えるのではないでしょうか。このような状況下での実務家は、各企業の経営戦略を理解しつつ、有効な活用方法の提案が出来るよう精進すべきと考えます。

 RCLIPは今年から、理系(研究・開発)と文系(法律、経営)の融合と、アカデミックと実務の融合を目指す、プロジェクト研究所としてスタートする予定です。私もかつで早稲田で学んだ者として、また実務者としてのスタンスからも一助を担えればと思います。

(RC 吉田 正義)

2013年12月 2013年を振り返る (RC 平山 太郎)

2013年を振り返る

 今年ももう終わりとなりました。今年は何といっても流行語が多過ぎて、「じぇじぇじぇ」「今でしょ」「倍返し」「お・も・て・な・し」の過去最高の4つが選ばれたことが特徴と言えます。4つとも有力で甲乙つけがたく、どれが選ばれるかを予想するのが巷の話題でしたから、結局全部選ばれてしまったので少々ガッカリな結果となってしまいました。しかし、過去には3つ選ばれたこともあったので、うまい決着のつけ方かもしれません。

 さて、私が携わっている弁理士試験の受験業界で、今年大きな話題となったものは2つほどあります。
 前半で注目されたのは、5月に行われた一次試験の短答試験の合格率が激減したことです。前年が1374人だったのに対して今年はわずか434人で、1000人近くも減少し合格率も26.1%から9.2%にまで落ち込みました。今年から短答試験の最低合格ラインが60%から65%に引き上げられたということもありますが、かなりの受験生が一次試験で躓く結果となってしまいました。免除期間を徒過して短答試験が復活していた受験生も結構ここで引っかかってしまった人がいたようです。
 その割に、その後の論文試験では合格者数は減ったものの従来とそれほど変わらない合格率であり、口述試験に至っては63.4%から81.7%とそれまで低下傾向だった合格率から急激に回復しており、最終的な合格率は例年とほぼ同じの10.5%と、短答試験の合格率よりも高くなってしまいました。現在、試験制度改革で免除制度の廃止などが検討されていることから、滞留していた受験生を吐き出して整理しようとしているのではないかとか、滞留していた昨年の口述不合格者約300人が今年は100人程度にまで減ったので口述試験の運営を楽にしようとしているとか、口述試験の合格率が60%台というのは他の試験種と比較しても異常な状態であったのでその批判を避けるためとか、様々な憶測が流れており、来年の試験がどのようになるのか受験生は不安に感じているようです。

 後半の話題は、何と言っても10月に行われた口述試験において、金属探知機が導入されたことでしょう。
 かつて大学入試の最中にネットの質問コーナーに試験問題をアップして問題となったことがありましたが、弁理士の口述試験でも不正を防ぐために、会場に集合した受験生には、試験中携帯電話を一時預けることが求められています。
 しかし、昨年の試験においてダミーの携帯電話を提出して、トイレから別の端末を用いてその日に出題されたテーマを外部に送信した不届き者がいたようで、その日の試験時間中にあるサイトに出題テーマの速報が掲載されたようです。
 同じ日に行われる質疑応答の出題テーマは共通しているので、自分の口頭試問が終わっても集合した全員の試問が終わるまで外には出ることができませんから、試験時間中に外部に漏れるのはトイレ以外にないということで、今年からトイレに行くに際しては金属探知機で携帯電話等を持っていないか検査されるようになったそうです。
 ここまで来たか、という残念なニュースでした。

(RC 平山 太郎)

2013年11月 自炊代行の周辺 (RC 桑原 俊)

自炊代行の周辺

 先月のコラムでも少し触れられているが、先ごろ、いわゆる自炊代行に関する東京地裁判決(*1)が出された。本判決に関しては、今後種々の評釈が出されるであろうし、先日の情報ネットワーク法学会においても分科会のテーマでとりあげられた(*2)。本稿では、周辺の問題についてメモ程度のものを書き連ねてみたい。

1.町のコピー屋さんはどうなる?
 学生時代、筆者は、大学の周辺によくある10円コピー屋さんに随分と世話になった(*3)。これは早稲田の周辺だけかもしれないが、時間が無い時は、自分でコピーするのではなく、「店にコピーを頼む」こともできた。本判決の射程はこのようなサービスに及ぶのだろうか。最近のコピー機は、スキャナー機能も付いているから、「スキャンを頼む」こともありそうな気がする。こうなってくると、ますます自炊代行に近づく気がする(*4)。もっとも、町のコピー屋さんをやっているおじいちゃん・おばあちゃんは、自炊代行の判決を知りもしないだろうけれど。
2.機器納入業者はどうなる?
 9月30日判決では、「本件における複製は、書籍を電子ファイル化するという点に特色があり、電子ファイル化の作業が複製における枢要な行為というべきであるところ、その枢要な行為をしているのは、法人被告ら【自炊代行業者のこと】で、あって、利用者ではない。」とされている。電子ファイル化を重視しているわけであるが、そうすると、電子ファイル化するためのスキャナーを納入している業者は責任を問われないのだろうか。
 振り返ってみれば、いわゆるカラオケリース事件判決(最判平成13年3月2日民集55巻2号185頁)では、カラオケ装置のリース業者に「相手方【リース先】が…著作物使用許諾契約を締結し又は申込みをしたことを確認した上でカラオケ装置を引き渡すべき条理上の注意義務を負うものと解するのが相当である」としていたわけである。もちろん、スキャナーの場合、カラオケ装置のリースとは異なるけれども、相手が自炊代行業者と分かっていながらスキャナーを販売なりリースなりしたらどうなるか、というのは、気になる点である(試験問題作成のネタとしてストック中)。
3.自炊代行を頼んだユーザーはどうなる?
 自炊代行業が複製権侵害になるとすると、それを依頼したユーザーは、複製権侵害の教唆等にならないのだろうか。この種の問題は、刑法でよく論じられている。典型的には、こういう例である。甲が自殺を図り、乙に自分(=甲)を殺してくれるように依頼し、乙は甲に対して殺害行為を行ったが、甲は死にきれなかった。この場合、乙に、嘱託殺人未遂罪(刑法202条後段・203条)が成立するのは明らかであるが、甲は、嘱託殺人未遂罪の教唆(刑法61条1項)となるのだろうか。
 甲は、自ら自殺すれば不可罰なのに(「自殺未遂罪」は存在しない)、乙に依頼すると嘱託殺人未遂罪の教唆になるのは違和感もあるが、これを肯定する見解もある(*5)
 翻って自炊代行の場合、ユーザーが侵害している(とされた)のは、著作権者という別人の法益なので、複製権侵害罪の教唆となるのは違和感が無いようにも思われる。とはいえ、ユーザー自ら行えば適法なのに業者に依頼すると違法になるのは奇異といえなくもない。この点は、私的複製が何故適法なのかという根拠論とも関連し、筆者の能力を完全に超えてしまうので、これくらいにとどめておく。

 以上、色々書き連ねたが、自炊代行訴訟自体、世間に問題提起をするための訴訟である(と筆者は理解している)から、本コラムは杞憂であるはずである。

(RC 桑原 俊)

(*1)

東京地判平成25年9月30日
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=83598&hanreiKbn=07 
東京地判平成25年10月30日
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=83724&hanreiKbn=07

(*2) 第5分科会「デジタル出版権と自炊判決~出版物のデジタル化を巡って」
http://in-law.jp/taikai/2013/index.html 
(*3) 10円コピーといいつつ、大量に頼むと5.5円でやってくれたりする。
(*4) 本が裁断されるかされないか、という違いは大きいのかもしれないが…。
(*5) 共犯の処罰根拠に関する修正惹起説。

2013年10月 著作権とのつきあい方―「○○できる権利」と「○○されない権利」 (RC 結城 哲彦)

著作権とのつきあい方―「○○できる権利」と「○○されない権利」

 「著作権」と聞けば、このコラムを読まれる方の大部分はすでに「耳にタコ」で、いまさらと受け取られるかも知れない。しかし、著作権を学び始めたばかりの者やこれに興味を抱いている者にとって、著作権の概念は複雑でわかりにくいのではないかと思われる。その理由の一つは、著作権という用語自体が、法律の中で定義を持たないまま、「著作者の権利(財産権・人格権)」や「著作物の伝達者の権利(著作隣接権)」の総称として広義に用いられ、また、「著作者の権利」を構成する個々の財産権(たとえば、「複製権」や「公衆送信権」。以下では、説明の便宜上「著作財産権」と表現する)の総称としても用いられているからである。さらに厄介なことは、著作財産権として著作権法で規定されている個々の「○○権」における「権利」の意味が、一般常識でいう「権利」の概念とその趣をやや異にしている点である。

 筆者にも経験があるが、ある著作権に関するセミナーで、出席者に「複製権とは著作者が複製することのできる権利ですか」それとも「他人に無断で複製されない権利ですか」と尋ねたところ、前者と答えた人が多数を占めたことは一度や二度ではない。どうやら、一般常識でいう「権利」と著作権法でいう「○○権」の権利との間には、認識のギャップが存在しているようである。

 岡本薫氏は、その著書「著作権とのつきあい方」(2007商事法務81頁)で、たとえば著作権の本質をよく理解していない作曲家に、「あなたは自分の作品について、放送権(注:現在は公衆送信権に統合されている)を持っている」と言ったら、「私は放送局でないし、放送設備も持っていないので、放送権なんていらない」と言われるようなことが起こる、と述べておられる。また、実際にあった話として、ある無名の脚本家がテレビ局に自分の脚本を持ち込み、「私は著作権法によって放送権を持っている。だからこのドラマを放送しろ」と言ったことがあるそうだ、とも述べておられる。前者の例は、「他人に無断で放送(公衆送信)されない権利」を「自分が放送できる権利」と誤解した結果である。また、後者は、「他人に無断で放送(公衆送信)されない権利」を「放送させることができる権利」と誤解していた結果である。いずれも、「されない権利」を「できる権利」と誤解した例である。

 著作権法の著作財産権に関する各条文は、このような誤解を招かぬように、単に「○○する権利を有する」という表現ではなく、「○○する権利を専有する」と規定している。したがって、このような誤解が生じるのは、条文に不備があるからではない。しかし、この条文にある「専有」(自分だけが○○することのできる権利を独占的に持っている、という意味である)の2文字から、この条文を一読した人が、著作財産権とは、「無断で○○されない権利」であるという本質をストレートに理解できるとは思われない。
また、著作財産権について解説している書物は、例外なく著作財産権を「排他的権利」という概念で説明しており、他人が無断で行った行為に対して、差止請求や損害賠償請求が「できる権利」だと説明している。この説明自体に誤りはない。しかし、この説明では、法律的なバックグランドの乏しい人が、著作財産権の本質を理解できるとは思われず、すでに述べた事例のように、著作財産権は、「○○できる権利」だとの誤解を招きやすい。

 このように見てくると、著作財産権の本質的な性質を「できる権利」として表現・説明するよりも、「複製権は、他人に無断で複製されない権利である」というように、「されない権利」として表現・説明する方がわかりやすく、また、誤解される危険性も少ないと考える。その意味で、岡本氏の「無断で○○されない権利」という説明は、著作財産権の本質をズバリついた適切な極めて表現であり、これに賛成したい。岡本氏流に「複製権」を説明すれば、それは、「著作者には、自分の著作物を無断でコピーされない権利がある。だから、他人が、無断でコピーしようとしたら、ストップをかけることができる。」ということになる。

 既存の解説は、この例からもわかるように、どうやら、前段の説明を省き、後者を強調したもののようである。ここまで書くと、「誤解する方が悪い」という声が聞こえてきそうである。しかし、著作財産権が、我々の生活の中で身近な存在となってきている今日、これを「寄らしむべし、知らしむべからず」にしてはならず、「寄らしむべし、知らしむべし」でなければならない。

 要するに、多くの人の誤解を招かないように配慮した目線が必要である。したがって、著作権の本質については、著作者が自分で複製や公衆送信などが「できる権利」であるのは当然のこととして、むしろ、それよりも、他人に無断で複製や公衆送信などを「されない権利」であることに本来的な意味があることを、もっともっと強調する説明があってしかるべきだと考える。

 蛇足であるが、去る9月30日、東京地裁で、「自炊代行」について初めての司法判断が下された。この判決を聞いて、「代行行為そのものが悪」と受け取った人がいるかもしれない。しかし、著作権法は刑法ではない。判決は、著作権法に規定されている利用行為を「無断」で行うと違法になると判示しているに過ぎないのである。逆に、「了解・許諾」を得て行えばよいといっているのであって、「行為そのものが悪」といっているわけではない。しかし、刑法では、「頼まれたから」「本人が了解しているから」は通用しない。ここに、著作権法と刑法の基本的な違いがある。この際、著作権法における「無断」や「許諾」の意味と重みを、あらためて思い起こす必要がある。

(RC 結城 哲彦)

2013年9月 2020年東京オリンピック開催決定と知財法業界への新たな課題 (RC 足立 勝)

2020年東京オリンピック開催決定と知財法業界への新たな課題(*1)

 2013年9月8日(日)午前5時(日本時間)、アルゼンチンブエノスアイレスで開催されていた国際オリンピック委員会(”IOC”)総会において、2020年夏季オリンピックの開催地が東京に決定した。おそらく世界で一番大規模なスポーツイベントを間近に感じられる機会であると思うと同時に、我が国の知的財産法に係わる者にとって新たな検討課題を抱えることになるように思われる。
 というのも、オリンピック開催の立候補都市は、IOCの要求事項として「開催候補都市とその国のオリンピック委員会(National Olympic Committee,“NOC”)は、オリンピック・シンボル(5つの輪のマークのこと)及び『Olympic』、『Olympiad』、オリンピック・モットーが、IOCの名前にて保護されていること、また、政府または権限ある国の機関から、IOCが満足できるレベルでかつIOCの名前にて十分で継続的な法的保護が現在得られており、これからも得られる」ことを保証しなければならないことによる。
 また、オリンピック開催都市に選定されたときには、IOCが用意した開催都市契約を、何の留保も修正もされることなく締結しなければならない。これらの文書はすべて、開催候補都市(開催地に選定された後は開催都市)及びNOCとの間のものなので、国との間の契約ではない。そのため、開催候補都市及びNOCに、国の誓約を事前に取り付けることを要求している(*2)

 実際に開催都市に選定された後は、開催都市契約に従い、開催都市の存在する国において、一定の期限までに、様々なオリンピック標章や当該オリンピック大会のエンブレム、マスコット、開催都市名と開催年を組み合わせた表示(例えば、TOKYO2020)について、IOCが満足する内容の保護を定めた法律が制定され、それらマークが保護されることを誓約しなければならない(*3)
 こうしたオリンピック関係のアンブッシュマーケティング規制法は、昨年ロンドンオリンピックが開催された英国をはじめ、2000年以降にオリンピックを開催した都市の所在する国において制定されており、IOC等権原を有する者の了解を受けない限り、「OLYMPIC」やオリンピック・シンボルなどのオリンピック標章を商業的に使用することを禁じること、必ずしもオリンピック関係の標章を使用しない場合でもオリンピックと関連があるかのような行為について禁止することなどが定められている。また、これら禁止事項に該当した場合、IOC、当該大会組織委員会又はオリンピック標章の使用許諾を受けている者が、その行為を差し止め請求できる旨定められている(*4)

 今回の東京招致委員会が提出した書類において、「オリンピック標章は、商標法及び不正競争防止法によって、法的保護を受ける」「IOCの尊厳や信用を保護するために、不正競争防止法により、IOCの許可を受けた場合を除き、第三者がオリンピック標章を商業上使用することは禁止されている」と表明している(*5)

 しかしながら、IOCは、我が国においてオリンピック・シンボルや「オリンピック」の標章を、競技会の企画・運営等の役務を対象とする41類を中心に限定されたカテゴリーで登録商標を有しているのみである(*6)。また、「オリンピック」や「IOC」は、商標法4条1項6号に該当する標章となっているものの(*7)、実際には、第三者によるもので「オリンピック」や「Olympic」を含む商標が登録されているものとして、被服等を指定商品とする「Olympic Champion」(登録番号3275312号及び3275313号)、「オリンピックチャンピオン」(登録番号3232527号及び3167178号)だけでなく、競技会の企画・運営等を指定役務とする「アジア太平洋数学オリンピック」(登録番号4926120号)、「日本数学オリンピック」(登録番号4926121号)、「日本ジュニア数学オリンピック」(登録番号4926122号)が存在する。すなわち、現実には、「オリンピック」は競技会を意味する慣用商標のように扱われている(*8)。東京招致委員会が表明した「商標法により法的保護を受ける」と言いきれるのかは、疑問がある(*9)
 不正競争防止法において、第17条により保護される標章として、「国際オリンピック委員会」「INTERNATIONAL OLYMPIC COMMITTEE」「IOC」の文字標章とともに、オリンピック・シンボル及び白地にオリンピック・シンボルの旗の合計5標章が、1993年に指定されている(*10)。但し、この条文は「商標として」使用することを禁じるものであり、東京招致委員会が表明した「第三者がオリンピック標章を商業上使用することは禁止されている」とは必ずしも理解できない(*11)。もちろん、不正競争防止法2条1項1項又は2号によるオリンピック関係の標章の保護は可能であるが、これらも「商品等表示としての使用」すなわち出所表示機能を果たす態様で使用を規制するものであり、やはり「商業上使用することは禁止されている」とまでは理解できない。
 現時点での制定法の内容及び従来からの判例に表れている解釈から考える限り、東京招致委員会の「IOCの許可を受けた場合を除き、第三者がオリンピック標章を商業上使用することは禁止されている」との表明は、現時点では裏付けがないにもかかわらず、大見得を切ったものと言えそうである。

 さらに、東京招致委員会によるIOCへの提出書類のなかで、オリンピック関係の標章についての保護について「現在において、新たな法を制定する予定はない」とする一方で、「2020年東京大会のより円滑かつ効率的な運営のために、必要があれば、日本政府は現行法を修正又は新たな特別法を制定するための法案を国会に提出する」と述べている(*12)
 IOCも、東京が提出した資料を確認し、「IOCの要求されたとおりに、オリンピック及びパラリンピック関係の標章は、知的財産法により保護されている。侵害行為に対して直ちに対応できるように、特別法が制定される必要がある可能性がある。」「東京がこの義務を完全に果たすために、政府のすべてのレベルは、必要な対応することをコミットしている」と評価している(*13)

 今後、我が国の法制度が、IOCの要求事項を満たしていないとIOCが判断した場合、オリンピック標章の商業的使用を禁止すること、特定の標章を使用していない場合でもオリンピックと関連があるかのような行為を禁止する内容を定める法の制定が求められることになる。
 そのとき、IOCの要請によるアンブッシュマーケティング規制法について、従来からの我が国の標識法の体系の中でどのように位置づけるのか、民間イベントであるオリンピックだけを特別に扱うのかなど、知財法業界に大きな課題が突きつけられることになるではないか。

(RC 足立 勝)

(*1) パラリンピックも同様に東京で開催されるが、条約や法律の関係から、本コラムではオリンピックのみを取り上げる。
(*2) 足立 勝「著名商標の保護についてーアンブッシュマーケティング規制の検討を中心に―」日大知財ジャーナル6号43-44頁(2013年3月)。なお、開催候補都市が提出しなければならない書類等について記載したプロセスやマニュアルは、IOCのHPで確認可能(2013年9月15日確認)。
(*3) 足立 (*2)43頁。 2012年ロンドンオリンピックの開催都市契約は、ロンドンオリンピックに反対する団体のHPにて公開されている(2013年9月15日確認)。
(*4) 詳細は、足立 注(*2)38-40頁参照。
(*5) 2013年1月7日にIOCに提出したCandidature File 38頁 (東京オリンピック・パラリンピック招致委員会HPにて確認可能 2013年9月15日確認)。このCandidature Fileには、政府保証も添付されている。日本オリンピック委員会のHPでも、「オリンピック等に関する知的財産・オリンピックのイメージ等の無断使用・不正使用はないし流用は法的にも罰せられます」と強調している(2013年9月13日確認)。
(*6) 筆者が確認した限りでは、IOCが有する登録商標は、登録番号286186号、3219957号、3251856号、3251857号、3255900号、3264562号、3275674号、3362006号、4117278号、4117279号、4117280号、4129972号、4980678号の13件である(2013年9月15日時点)。また、IOCの要請事項の一つである開催都市と開催年の組み合わせの保護に関連して、東京招致委員会が、2013年1月18日に、第1類から第45類まで指定して「TOKYO 2020」(標準文字)の文字標章を商標出願している。
(*7) 特許庁『商標審査基準(改訂第10版)』(発明協会 2012)29頁。石川二郎「オリンピックの表章などの使用規制についての問題点」時の法令484・465号(1964)28頁にも同旨の記述がある。
(*8) 異議2006-90197(2006年12月19日決定)、異議2006-90198、90199(2006年12月21日決定)
(*9) 我が国は、オリンピック・シンボルの商業的使用を規制するナイロビ条約(1981年9月26日採択 1982年9月25日発効 現時点での締約国数50ヶ国)の締約国ではないため、ナイロビ条約に基づくオリンピック・シンボルの保護も考えられない。
(*10) 不正競争防止法第十六条第一項及び第三項並びに第十七条に規定する外国の国旗その他の記章及び外国の政府若しくは地方公共団体の監督用若しくは証明用の印章又は記号並びに国際機関及び国際機関を表示する標章を定める省令(平成6年4月19日通商産業省令第36号)
(*11) 不正競争防止法17条は、刑事罰(不正競争防止法21条2項7号)によって実効性を担保するものであること、また「OLYMPIC」や「オリンピック」は17条で保護される標章として指定されていないことから、その保護の実効性が十分なのかも疑問である。
(*12) 2013年2月13日にIOCに提出したApplication File 68頁 (東京オリンピック・パラリンピック招致委員会HPにて確認可能 2013年9月15日確認)
(*13) Report of the IOC 2020 Evaluation Commission Games of the XXXII Olympiad (19 April, 2013)p61 IOCのHPにて確認可能(2013年9月15日確認)。

2013年8月 「ハンガリー舞曲」盗作騒動にみる創作的利用の自由 (RC 志賀典之)

「ハンガリー舞曲」盗作騒動にみる創作的利用の自由

 ハンガリー舞曲。ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームス(1833-97)の代表作のひとつとして知られており、中でもその第5番は、誰しも耳にしたことのあるエキゾティックな旋律が魅力的な小品である。また、この曲集は公表後、エドゥアルト・レメーニ(1830-98)ら他の音楽家から自作の盗用であるとの非難を受け物議を醸したという逸話でも著名である。

 その経緯は次のようなものである――ブラームスは10代後半、若手作曲家として知名度を確立する以前に、ヴァイオリニストであるレメーニの伴奏ピアニストとして演奏旅行を行っていた時期があった。その旅の中で、レメーニから、ロマの民謡などとして数々の旋律を教えてもらった。ブラームスはそれらの旋律をもとにして、1869年に、4手ピアノのための「ハンガリー舞曲集」(第1集)を作曲し、出版する。この曲集は、出版されるや否や、瞬く間に大好評を博し、さらにブラームス自身の手により管弦楽にも編曲され、世界的に演奏されるにいたった。その成功に面白からぬ感情を抱いたのがレメーニであった。レメーニは、1870年代以降、旧来の盟友ブラームスと袂を分かち、『ハンガリー舞曲』に自作が無断で利用されていると喧伝した。しかし、この論争は、ブラームスが、楽譜の出版に際し、ブラームス「作曲」ではなく「編」(gesetzt von Johannes Brahms)と銘打ち、自己の作品番号も付さずに―つまり、「自作」とはいわずに―公表していたという事実を主な理由として、盗用にはあたらないとの一応の決着を見たとされる。

 とはいえ、仮にこれらの事実に基づき、現代各国の著作権法の複製権・編曲権あるいは同一性保持権の枠組みで判断するとすれば(そして例えば現代ドイツ法の自由利用(24条)や音楽作品への引用(51条)、フランス法のパロディ許容規定などを考慮しないとすれば)、ブラームスに史実より不利な結果が生じる可能性も高いように思われる。そのように考えれば、古典的な著作権思想に多大な影響をもたらし、現在頻繁に個人主義的刻印が強すぎる時代の産物としてしばしば批判される「19世紀ロマン主義」が花開いた時代の著作権観念は、実は他人の創作的成果の創造的な利用に対し現在より寛容であり、その寛容さこそがまさに世界的な名曲の普及にも貢献したという、些か逆説的な事実が見て取れるのではないだろうか。

(RC 志賀典之)

2013年5月 オープン・ディスカッションの奇跡 (法学学術院教授 上野達弘)

オープン・ディスカッションの奇跡

1 早稲田の杜に
 早稲田大学に赴任して、2ヶ月がたとうとしている。「もう慣れましたか?」と声をかけられることも多い。もともと順応性の高い私ではあるが、もうすっかり落ち着くことができた。むしろ、ずいぶん前からここにいるような気さえする。

 私はすでに7年前から、非常勤としてロースクールの講義を担当していたので、そのせいかも知れない。また、自由を基調とする早稲田大学の校風は、私の母校である京都大学のそれと似ているからかも知れない(今時、政治的な立て看板や袴姿での演説を構内に見かけるのはなかなかレアだろう)。しかし、同僚の先生や事務職員の方々が私を温かく迎えて下さっているというのが、何より大きいと感謝している。

 早稲田大学といえば、知的財産法に関しても、高林龍先生が1995年から現在に至るまで教授を務められ、また、渋谷達紀先生が2012年3月まで在籍された。時代をさかのぼると、1960年から1997年の長きにわたって、かつて著作権法学会会長や著作権審議会委員も歴任された土井輝生先生が教鞭を執られた。さらに、1949年から1954年には、著作権法に関する業績も少なくない民法の戒能通孝先生が教授の地位にあった。そんな歴史と伝統を有する早稲田大学でこれから仕事ができることを、私は光栄に思う。

2 学界の孤児として
 もっとも、私のこれまでの道のりを振り返ると、それは決して平坦でなかった。むしろ道なき道だったというべきかも知れない。

 研究者を目指す者にとって最も重要なものの一つ、それは指導教授だろう。指導教授は、学問研究の作法と姿勢を習得させるとともに、弟子の将来をプロモートする。

 私の場合、学部時代のゼミ教員であった辻正美先生(当時・京都大学教授)が、研究上の「生みの親」に他ならない。当時の私はというと、研究どころかろくに勉強もしない平凡以下の学生だった。京都大学の自由な学風がそれを許していた(と思いたい)。もし辻先生が学生を成績順で決めつけてしまう人だったら、私はノーチャンスだっただろう。しかし、辻先生は私に思いもよらない可能性を与え、私がその気になるきっかけを下さったのである。その辻先生は、1997年4月24日、突然帰らぬ人となった。先生自身48歳という若さであり、当時の私も25歳。博士課程2年で、ちょうどひとり暮らしを始めた頃だった。

 指導教授を失った私は、いわば学界の孤児となった。そんな私を拾って下さったのが山本敬三先生(京都大学教授)である。同先生の指導は大変厳しいものだったが、もしこれがなかったら今の私は絶対なかった。

 そんな2人の指導教授が、私にとっての「その気にさせてくれる」生みの親と、「厳しくしてくれる」育ての親だったことについては、以前書いたことがある(上野達弘「回想」法学周辺33号67頁〔立教大学、2005年〕参照)。ここで語りたいのはその先に出会った先生方のことだ。

3 「育ての親」に恵まれて
斉藤博先生と著作権法学会
 私が在籍した頃の京都大学には、知的財産法を専門とする教授はいなかった。私の2人の指導教授も専門は民法だった。大学院生にも知的財産法を専攻する者は自分以外いなかった。関西を見渡しても同じ分野の研究者は少なく、知的財産法関係の研究会が開催されるのもたいてい東京だった。このように、当時の私には知的財産法関係のツテは全くなく、そのような意味でも学界の孤児だったといえるかも知れない。

 著作権法学会というものの存在を知ったのは、私が修士課程の時だった。学会というものに行けば何となく研究らしいことをしている気分になれるのではないか、そう考えた私は参加を企てたが、辻先生も会員ではなく、周囲にも会員はいなかった。仕方がないので、学会誌の奥付を探って、そこに記載されていた事務局に直接電話をかけた。京大の法経本館玄関に設置されていた古い公衆電話。その向こうに聞こえた声は、今から思えば尾中普子先生(当時・大東文化大学教授)だった。何の紹介もない私に対して、先生は「来週、学会研究会があるからいらっしゃい。そしてちょうど前夜に判例研究会もあるからついでにおいでになったらいかがですか」といって下さったのだ。

 この判例研究会は、斉藤博先生(当時・筑波大学教授)が主宰されており、当時は大塚の筑波大学で開かれていた。上京した私は、誰も知り合いがいないので、おそるおそる会場に入って、やっと末席に居場所を確保した。そっと前方を見上げると、聴衆の狭間に、司会をしている斉藤先生の小柄な姿が見え隠れした。

「この人が斉藤先生か・・。」

 斉藤先生のお名前は私も文献では頻繁に接していたが、実物を見るのはこのときが初めてだったのである。

 翌日の学会は、上野の東京国立博物館で開かれた。1994年11月25日のことである。当時会長の土井輝生先生(当時・早稲田大学教授)が壇上でご挨拶をされていた姿は今でも記憶に残っている。しかし、それは当時の私にとってあまりにも遠い存在で、ご挨拶する機会さえなかった。ほかの参加者にも直接の知り合いがいない私は、他人の名札をそっと見ては「おお。これが○○先生か」などと驚きに浸るだけで、やがて人知れず帰宅するしかなかった。

 また別の機会にSOFTICシンポジウムというものが東京で開かれた。1995年11月のことである。ここにも、私は直接の知り合いがおらず、まして自分を紹介して回ってくれる後見人もいなかった。勇気を出して懇親会とやらに出席したのはいいが、わいわいと談笑する出席者の輪に入っていくことができず、人の群れを遠く眺めながら、一人ただグラスを傾けてばかりだった。しかし、このときの私は、その頃準備を進めていた修士論文の構想を斉藤先生に見ていただけないかと考えて、レジュメの入った封筒を上着のポケットに忍ばせていた。ところが、斉藤先生は多くの人に取り囲まれていて近づけず、私は遠巻きに見つめるしかなかった。なかなか人が途切れなかったが、わずかな隙間にしがみつくように分け入って挨拶すると、「これ読んでいただけませんか」と半ば強引に封筒を押しつけた。その様子は、まるで中学生がはじめてラブレターを渡すときのようだったかも知れない。それでも、斉藤先生は数日後、神戸まで電話をかけてアドバイスを下さったのである。

 しばらくたった頃、斉藤先生は、「著作権情報センターで若手を集めてドイツ文献を読む研究会をするから来ませんか」と声をかけて下さった。当時、新橋にあった著作権情報センターの一室に集まっては、Adolf Dietz教授の論文などを、毎回十数行程度という実にじっくりしたペースで精読するのである。当時まだ院生だった駒田泰土さん(現・上智大学教授)、三浦正広さん(現・国士舘大学教授)、本山雅弘さん(現・国士舘大学教授)といった、尊敬すべき同業者と知り合うことができたのも、その時のことである。

 その後、私が書いたいわゆる処女論文「著作物の改変と著作者人格権をめぐる一考察」(民商法雑誌120巻4=5号・6号〔1999年〕)は、伝統的通説では当然視されてきた「著作者の優先的保護」という基本的な考え方を批判的に検討するものだった。ここでいう「伝統的通説」の代表論者が何を隠そう斉藤博先生その人であることは、これを読んだ人にはおそらく一目瞭然だろう。昭和9年(1934年)生まれの斉藤先生からみれば、私は37年も下の若造だ。そんな相手から根本的な批判を加えられる気分というのは、今の私にはちょっと想像できない。しかし、斉藤先生がそれに気を悪くされるようなことは微塵もなかった(と思う)。斉藤先生は、あれから10年以上近くたった今でも、私を国際学会に紹介するなどプロモートして下さっている。そこには、学問における自由な議論と他者を尊重する精神があるように思うのである。

中山信弘先生と東大シューレ
 2001年、私は東京にやってきて、成城大学法学部に3年間、立教大学法学部に9年間在籍した。私はもともと東京生まれであり、東京には、親戚や友人は少なからずいたが、法学界においては京大出身者が多くなく、ましてや京大出身の知的財産法研究者は東京にいなかった。

 何かの懇親会でのことだったかと思う。中山信弘先生(当時・東京大学教授)が、「私の若い弟子と勉強会やっているからよかったらいらっしゃい」と声をかけて下さったのだ。この勉強会は、東大法学部4号館の「記念室」と呼ばれる小部屋で行われており、出かけてみると、当時東大の院生や助手だった中山シューレ(弟子たちを称してよくこういう)の若手が4、5人集まって熱く議論しているのである。

 もちろん、私は中山先生の直接の弟子でもなく、東大出身者でもないのだが、皆さん温かく接して下さった。島並良さん(現・神戸大学教授)、横山久芳さん(現・学習院大学教授)、小島立さん(現・九州大学准教授)、武生昌士さん(現・法政大学准教授)、金子敏哉さん(現・明治大学専任講師)などと横の親交が今も深いのは、あの時こうした兄弟的な付き合いがあったからに他ならない。これがなかったら、後に島並さんと横山さんと一緒に書籍『著作権法入門』(有斐閣、2009年)を共著することも、おそらくなかっただろう。

 この勉強会は熱心なもので、真夏も大汗をかきながら、朝から時には夕方近くまで続けられた。中山シューレの弟子たちも、そして私も、中山先生という権威に臆することなく粘り強くディスカッションを続け、先生も分け隔てなく対等に応接された。いうまでもなく中山先生は、知的財産法という分野を確立し、インセンティブ論を軸とする新たな体系論を提示され、その後の田村善之先生(北海道大学教授)による体系論にも重要な契機を与えた。勉強会に参加していた中山シューレの弟子たちも、その出発点において少なからず影響を受けているように私には見えた。

 ところが私自身は、たしかに従来の伝統的通説を批判してきたのだが、だからといってインセンティブ論のような新しい政策的思考になじめず、むしろオーソドックスな立場を再構成するアプローチを指向していた。それは、東大と京大の学風に由来するところもあるかも知れない。しかし、そのように立場が異なる私を、中山先生はあえて議論に招き入れようとされたのである。そして今でも、中山先生は私をよくシンポジウムや研究会に呼んで下さる。

 そうした議論では、ディスカッションの末に適宜自説を修正することをも中山先生は厭わなかった。過去に自分が書いたものに固執して言い逃れに終始するのではなく、「過去の自説からの自由」の姿勢を示されたようにも思うのである。

高林龍先生と多様性
 もともと裁判官や最高裁調査官として活躍されていた高林龍先生は、学者になられてからも幅広く文献をお読みになっていたようで、私のマニアックな論文まで見つけては、ときどき引用して下さっていた。それだけでもありがたかったが、あるとき高林先生が、早稲田大学のロースクールで非常勤として著作権法の講義をしてみないかと私に声をかけて下さったのである。私はすでに京大ロースクールでも非常勤として著作権法の講義を担当していたが、早稲田でのそれは私にとってもちろん新たな挑戦だった。しかし結局、2006年から(留学による一回休みを挟んで)足かけ7年間、早稲田のロースクールで非常勤として講義することになったのである。この間、講演会やシンポジウムに登壇する機会も数多くいただいた。

 高林先生は、これまでにも、今村哲也さん(現・明治大学准教授)、張睿暎さん(現・東京都市大学准教授)、安藤和宏さん(現・早稲田大学上級特別研究員)、小川明子さん(現・早稲田大学招聘研究員)や、帰国後、中国で教授職に就いた兪風雷さん(現・天津大学副教授)や謝晴川さん(現・南開大学副教授)など、多数のお弟子さんを育てられたが、皆さん実にさまざまなバックグラウンドを持った方々ばかりである。そして今も、大学院の修士課程や博士課程には、研究者志望の日本人だけでなく、弁理士、特許庁職員、企業の知財部員といった社会人、そしてブラジル人弁護士や中国人弁理士といった留学生、さらには御年70代後半になる元法務室長といった、実に多様な院生に囲まれている。

 そして、私もファミリーに加えていただいた一人である。大学の世界では、他大学出身の教授達が自らを「外様」とか「外人部隊」などと呼ぶことがある。しかし、出自や年次を超えて多様なものを受け入れる自由な空気が、ここにはあると私は感じている。

 「集まり散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光」というのは、早稲田大学校歌3番に登場するフレーズである。来る者を拒まず分け隔てなく受け入れるスタンスというのは、ひょっとしたら早稲田の校風に通じるものがあるのかも知れない。

4 オープンであること
 さて、研究上の「生みの親」を失って学界の孤児となった私は、このように多くの「育ての親」に恵まれた。これらの先生方は、それぞれ個性的で、もちろんタイプは異なる。しかし、これらの先生方は、私のような孤児を受け入れるオープンさを持っていた。いずれも異見に対してきわめて寛容であり、あえてこれと直接議論しようとした。そこでは、どんなに突拍子もない見解であっても、けっして頭から決めつけたり、排除したりすることなく、「なるほどそうきましたか」といって、相手の立場で思考してみる柔軟さと懐の深さがあった。

 不思議なことだが、このように立場を異にする者同士が直接対面して議論すると、誰もが相手の立場をよりよく理解することができるようになり、それまで自己の中で自明だった考えが相対化され、お互いに思考が磨かれるという現象が必ず起きる。その中で、それまでまったく想像もできなかった新たなアイディアや選択肢が生まれてくることも少なくないのである。

 オープン・ディスカッションは奇跡を起こす。私にとって研究上の「育ての親」だった先生方は、学問や学者のあり方として、オープン・ディスカッションが無限の可能性を有していることをさまざまな形で教えて下さった。私はそう思っている。

 もちろん、誰しもこうしたことはつい忘れがちである。立場、発想、利害関係など、同じ方向性を持った者同士が集まれば気が合うし、すぐに盛り上がるものである。その方が「常識的で合理的」な議論ができると思ってしまうことさえあろう。特にわが国では、異質なものとの苦手なコミュニケーションに怯え、同質性の高い環境で集団的に一丸となることに心地良さを覚える風潮がどこかにあるのかも知れない。利害関係なく自由に議論できるはずの学者の世界でさえ、そうした危険と無縁ではなかろう。

 だからこそ、もともと人好きで八方美人な私も、自由でオープンなディスカッションと直接の対面コミュニケーションの可能性を常に信じられる者でありたい。そう思うのである。

上野達弘(早稲田大学法学学術院教授)

2013年4月 新装開店準備のための閉店? (センター長 高林 龍)

新装開店準備のための閉店?

 知的財産法制研究センター(RCLIP)は,GCOEに先立つ21世紀COEのプロジェクト開始時から継続して10年間,アジアおよび欧州の知的財産判例英訳データベース構築を始めとする知的財産法制の研究を行ってきた。データベースは構築することが目的ではなく,データの収集と要約の過程で,各国・地域の裁判官などの実務家や研究者と研究ネットワークを構築して,これらのデータに表れている知的財産法の執行に係わる問題点について研究を重ね,理想的な知的財産法制の確立を目指すことを最終目的としている。そして,10年間に及ぶ私達の活動はこれ対して様々な方々からのご協力も頂戴する機会を得ることに繋がり,GCOE資金以外も活用して,毎週といってもよいほどの頻度で広く知的財産を対象とした公開のシンポジウム・セミナーを開催してきたし,年4回日英二カ国語でRCLIPニュースレターを発行して,活動内容を広く世界に発信もしてきた。

 活動の初年である2003年12月16日にはこけら落しの企画として,東京地裁の101号大合議法廷を使用して,午前中は東京地裁の現職裁判官3名が裁判官役となり,原告・被告代理人は日本の著名事務所の弁護士が担当して,仮想事例・記録を用いてシナリオなしで模擬裁判を実施した。そして午後には,米国連邦裁判所の現職判事が裁判官役となり,原告・被告代理人も米国から来日した著名事務所の弁護士が担当して陪審制度を導入した模擬裁判を,日本版と同様の仮想事例・記録を用いてシナリオなしで実施した。事案は医療器具の発明を対象として,米国の特許権者が日本の医療器具メーカーを訴えた特許権侵害訴訟であるが,午前中の米国版訴訟では均等侵害が認められて米国特許権者が勝訴し,午後の日本版訴訟では出願経過禁反言により均等侵害が不成立されて原告敗訴となった(*1)。当日は,大合議法廷に入りきらない傍聴者400名ほどを債権者集会場に収容して,法廷内の模様をTVカメラを用いてスクリーンに映し出した。このような企画が最高裁判所や東京地裁の多くの方々のご協力を得て官学一体で実施できたことは,今,思い返してみても画期的なことであった。また,その後の10年間で,米国では出願経過禁反言の適用場面の増加により「均等論は死んだ」といわれる状況が生じていること,逆にわが国では近時「均等論のルネサンス」として知財高裁で均等侵害を認める判決が散見されるに至っていることに思いを致すならば,両国の知財をめぐる動きの交錯には,感慨深い以上のものがある。

 そして,活動最終年である10年後の2013年1月26日には各国・地域の多数の協力者が成果を持ち寄って集い,私達との協力関係の将来にわたる維持・発展を確認しあうコンファレンスを開催した(*2)。

 私達のこの21世紀COEの5年間と,GCOEの5年間の活動内容やその成果は,到底わずかな紙幅で明らかにすることはできない。特に判例データベースは,アジア(中国,韓国,ベトナム,インドネシア,タイ,台湾,インド),欧州(ドイツ,フランス,イタリア,スペイン,英国)ばかりか今年にはブラジルとロシアの知財判例も加わり,無料で検索して閲覧することのできるデータベースとして,世界的に注目されるものに育っている。

 しかし,時の流れは非情でもあり,10年間続いたプロジェクトも,景気後退の世情が故に後継企画はなく,研究費が途絶するときが来てしまった。GCOE採択後に開設したRCLIPのオフィスも賃貸期間の満了により閉鎖することになり,先日,引っ越しを終了し,什器備品のなくなった空き室に佇むならば,寂寥感が漂っていた。

 とはいえ,仮にこれまで同様の研究費は頂戴できないにしても,10年かけて構築してきたデータベースを死に体にしてしまうことや,これまで構築してきた人的ネットワークを遮断してしまうことは絶対にあってはならないことである。現段階では未だ模索中としかいえないが,RCLIPの活動はどのような形であれ4月以降も継続して行きたい。その第一歩として,大学当局からしばらくの間ではあるが,活動拠点となるオフィスのご提供を頂けることになった。そして,4月以降もデータベースを見ることのできるWeb頁を継続し,かつ4月23日には新生RCLIPとしての初回(通算34回)研究会を上野達弘先生をお迎えして開催することにした。

 これからしばらくは揺籃期になるであろうが,何とか揺籃期を経て華々しく新装開店ができる日が来ることを期待して,旧RCLIP最後のコラムとしたい。

(センター長 高林 龍)

(*1) 模擬裁判の詳細は,季刊企業と法創造第2号「知的財産法制研究」3頁以下を参照。
(*2) コンファレンスに際して各国・地域の協力者から提出頂いた成果(レポート)は,季刊企業と法創造第36号(近刊)に登載予定である。


RCLIPコラム(2012年度以前)

過去RCLIPコラムはこちらをご覧ください。