桃中軒雲右衛門の人気ぶり

 民法の不法行為法の教科書に必ず掲載されている裁判例として、桃中軒雲右衛門事件がある。これは著作権侵害訴訟であるので、知的財産法の教科書にも取り上げられることが多いが、今日は事件の主人公である桃中軒雲右衛門の人気ぶりについて書いてみたい(この事件はレコード会社と模倣盤業者が訴訟当事者となっているため、厳密には雲右衛門は事件の主人公ではない)。

 桃中軒雲右衛門(1873-1916)は、レコード産業の草創期に最も人気があった浪曲師である。当時、絶大なる人気を誇っていた雲右衛門は吹込料がほかと比べて突出して高かったため、雲右衛門の浪花節はなかなかレコード化されなかった。これを実現させたのは、横浜市在住のドイツ人貿易商であるリチャード・ワダマンである。ワダマンは、15,000円という高額の吹込料を雲右衛門に支払って、「赤垣源蔵徳利の別れ」「南部坂後室雪の別れ」「大石生立」「村上喜剣」「正宗孝子伝」の五種類のレコードを72,000枚製造し、三光堂に販売させた。1912年5月19日のことである。

 このレコードが模倣盤業者によって販売されたため、その後、訴訟に至るのであるが、雲右衛門の吹込料15,000円という金額は当時、どのくらいの価値を持つのであろうか。この時代、熟練工の日給は1円50銭といわれている(*1)。今でいうと15,000円くらいだろうか。すると、雲右衛門の吹込料は現代の物価に置き換えると、15,000円の1万倍、すなわち1億5千万円ということになる。いやはや凄まじい数字である。

 さらに驚くのは、ワダマンが雲右衛門のレコードを72,000枚も製造していることである。今ならオリコン初登場1位は間違いないが、このレコードが発売された当時の日本人の人口は5,000万人であることや、蓄音機が非常に高価であったことを考えると、この数字は今でいうと100万枚以上に相当するだろう。まさにAKB48や嵐並みの人気スターといったところだろうか。雲右衛門はまさに大正時代のスーパースターだったのである。

 ちなみに雲右衛門の人気の秘密は、20〜30秒の間、まったく息継ぎをせずに一気に語る「三段流し」と呼ばれる歌唱法にあった。舞台で雲右衛門が三段流しをやると、聴衆もそれに合わせて息を継げなくなってしまうほど、その歌唱には魅力があったそうである。5月31日から国立国会図書館が歴史的音源の公開を開始したが、ぜひ昔のスーパースターたちの歌唱を鑑賞してみたいものである。



(*1) 倉田喜弘「戦前におけるレコード産業と著作権法の成立」レコードと法(1993年)16頁。


招聘研究員 安藤和宏 (2011/6/13 update)